コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 1973年の鈴木清順と加藤泰、または個人的な体験   Text by 木全公彦
11PMと衆議院予算委員会の加藤泰
11PMというちょっとHな深夜情報番組があった。そこに加藤泰が任田順好(=沢淑子)と一緒に出ていたことがある。大阪読売テレビの火曜イレブンか木曜イレブンだったと思う。女優は監督のことを「先生」と呼ぶもんだと思っていたのだが、任田順好は本番生放送のスタジオだというのに、タバコをぷかぷかふかしながら、まるで竹脇無我の青成飄吉にしゃべるように伝法な口調で「加藤さん」と言いながら、『みな殺しの霊歌』で演じたときのまんまのふてぶてしい態度で司会の藤本義一に受け答えをしていて、「そのまんまじゃないか!」とびっくりした。

松居一代が「学生に人気があって、画面に監督の名前が出ると拍手が起こるそうですね」と言うと、加藤泰は照れくさそうに笑った。続いて『緋牡丹博徒 お竜参上』の一場面が流れる。立ちまわりでセットの縁石が動いた瞬間、加藤泰が「動いた!」と叫んだ。スタジオに戻って松居一代が「今さっき監督は『動いた』っておっしゃってましたけど」と言うと、「ハリボテで作ったからアレは失敗でイカンのです。気付かなかった監督の責任です」と答えて、加藤泰はまた恥ずかしそうにした。
最後に松居一代は文芸坐だったか京一会館だったのかの加藤泰特集の宣伝をして「お好きな人はぜひ」と言って締め括った。たぶん、81年か82年あたりのことだったと思うが、新作ではなく名画座情報が全国ネットのテレビで取り上げられていたとは、自局製作のクソ映画の宣伝ばかりにうつつを抜かす現在とは隔世の観がある。

続いて、1980年代半ばのことである。NHK総合テレビで加藤泰の『昭和おんな博徒』が放映された。どうやら国営放送がいわゆるヤクザ映画を放映したのは、これが最初だったらしく、国会の予算委員会でそのことが取り上げられた。「国営放送がヤクザ映画を放映するとはなにごとか!」と、社会党(現在の社民党)の衆議院議員が執拗に放送事業における健全なあり方について自民党総務省を攻撃していた。

その出来事を取り上げ、「愚かな政治的行為」と映画雑誌の誌面で批判したのは、私の知るうる限り映画評論家の水野晴郎だけだったはずである。鈴木清順問題共闘会議で騒いでいた連中はどこに行った。鈴木清順=加藤泰主義者は転向したのか。なんだかとっても情けない気がした。踊りゃなソンソンの80年代の正体はそんなもん。

だが、このエピソードは陰惨な結末を迎える。このときの社会党の議員は、それからまもなく街頭演説中、右翼のテロに遭って腹部を刺され、落命したのだった。もちろんそのときのヤクザ映画批判が原因となって刺されたわけではなく、別の、もっと政治的な何かだったように記憶しているが、いっときはその議員に殺意を感じた者としては後味の悪い結果となってしまった。ネット時代といえどもやはり軽々しく「死ね」などというべきではない。