5月のCS・BSピックアップ
■  先月に引き続いてチャンネルNECOでは鈴木英夫特集がある。第2回は大映作品『蜘蛛の街』(50)を含む6本を放映する。まず鈴木が得意としたミステリ/スリラーのジャンルからは出世作『蜘蛛の街』、東宝時代の代表作の1本でもある『彼奴を逃すな』(56)、三橋達也東宝移籍第1作『非情都市』(60)の3本。風俗コメディのジャンルからは『チエミの婦人靴(ハイヒール)』(56)、『青い芽』(56)、『大番頭小番頭』(55)の3本の計6本。

『蜘蛛の街』は、下山事件に材を得た最初の映画であることは強調しておくべきだろう。下山事件が起きたのは1949年7月5日だから、この映画はその事件の衝撃が収まらないうちに製作されたことになる。いうまでもなく当時の日本はまだ米軍の占領下にあり、この事件にはGHQが関与されていると噂されていたから、まったくのフィクションとはいえ、この事件を題材にして映画を製作することは大変勇気がいったことだったに違いない。

また、すでに指摘したことだが、当時の日本映画界におけるミステリ/スリラー映画がおどろおどろしい怪奇趣味や荒唐無稽なアクションのレベルであったことを考えると、ロケ中心のリアリズム重視の撮影スタイルも含め、この作品が先駆的作品であったか分かると思う。伊福部昭の音楽はぶち壊しスレスレの過剰さで、後年の『ゴジラ』(54)とそっくりだが、識者によると『ゴジラ』の雛形がこの『蜘蛛の街』の映画音楽であるとする説があるらしい。

その後、鈴木は大映の首脳部と衝突してフリーを経て東宝に移籍する。東宝での身元引受人になったのが藤本眞澄であったことは鈴木にとってよかったのか悪かったのか。なぜならこの東宝の豪腕プロデューサーが得意としたのはサラリーマン喜劇と石坂洋次郎モノであり、藤本の番頭であった金子正且の証言によると、藤本はミステリやスリラーが嫌いだったというからである。しかも東宝は他社に比べてプロデューサー・システムが製作の根本を成しているから、成瀬、黒澤、稲垣、豊田といった巨匠を例外にして、どの監督も藤本が路線を敷いた明朗なサラリーマン映画を撮らざるをえず、そういう映画が苦手であった鈴木には受難であったはずだ。せっかく東宝へ移ったのにやりたい企画が回ってこず、クサっていたところに、『彼奴を逃すな』の企画が回ってきて、自らの出世作である『蜘蛛の街』と同じ印象を抱き、がぜんやる気になった、とは本人の弁である。脚本を書いた村田武雄によると、ヒントになったのは森岩雄から提示された翻訳ミステリということだが、それが何であるかは分からない。

『彼奴を逃すな』が『蜘蛛の街』の系譜につながる、平凡な市民が犯罪に巻き込まれるスリラー映画であるとするならば、『非情都市』は『危険な英雄』(57)に繫がる、エゴイスティックなマキャベリストの暴走と失墜を描いたスリラー映画である。『危険な英雄』の誘拐事件がトニー谷の愛児誘拐事件からヒントを得たような形跡があるのに対して、『非情都市』は、1958年に起きた安藤昇の横井英樹銃撃事件から着想を得ているようだ。原作は元読売新聞社の記者であった三田和夫の手記。これはその彼がスクープをモノにするために横井英樹狙撃犯を匿って逮捕され、読売新聞社を追われた事件をベースにしている。三田和夫は、その後、「正論新聞」を主宰。ブラックジャーナリズムを代表する右派論者として、ロッキード事件のときは同じ右翼の児玉誉志夫を批判し、名を馳せた。晩年までメルマガを発行するなど健在ぶりを発揮した(らしい)。

三田和夫の「編集長ひとり語り」からプロフィール

さて、下山事件に材を取った『蜘蛛の街』にしろ、横井英樹銃撃事件に関与した三田和夫の原作を基にした『非情都市』にしろ、そうした当時の時代背景を知るとなかなか興味深いのだが、だからといって鈴木英夫がジャーナリスティックな感覚を持っていたといいたいわけではない。しょせんはキワモノである。しかし一部のプロデューサーは鈴木の後味の悪いミステリ/スリラーを撮らせたら巧いという資質を評価されていたことは確かである。

■  「ザ・シリーズ」は『嗚呼!花の応援団』の全3作の特集。順に『嗚呼!花の応援団』(76)、『嗚呼!花の応援団・役者やのォー』(76)、『嗚呼!花の応援団』(77)。監督は3作とも曽根中生。1971年にロマン・ポルノに転じた日活はときどき一般映画を製作し、公開していたが、この『嗚呼!花の応援団』は、一般映画では藤田敏八&秋吉久美子のジプシー3部作以降のヒットではなかったと記憶している。当時はブロック・ブッキングも弱体化したとは健在で、ロマン・ポルノの常設映画館になった日活系の劇場で一般映画が上映されると、看板やらポスターやら自動販売機やらがいっせいに模様替えされて、なかには新聞紙で覆いがかけられていたこともあった。そんな中での一般映画の鑑賞。それも普段はロマン・ポルノの常設館である。現在の新宿国際で一般映画が上映されるみたいなもんである。 そうしたハンデはあるものの、人気マンガの映画化でそれも主役を一般公募で派手に募るという宣伝戦略が功を奏して事前の話題性もじゅうぶん。第1作は大ヒットし、日活の社長は翌年の年頭挨拶で『嗚呼!花の応援団』のシリーズ化に伴って、これからは一般映画も積極的に製作したい、とかなんとかしゃべったと記憶している。が、オーディションで選ばれた1作目の青田赤道役の今井均が学業に専念したいと2作目の主役を辞退し、結果的に毎回主役をオーディションで選ぶというスタイルになってしまった。まあ、それはいいんだけど、大ヒットした第1作は泥臭いだけであまり評価できず、さらに第2作、第3作ともっと泥臭いだけのシロモノになっていったような気がする。これが成功していれば、曽根中生の行き方も大きく変わったかもしれないと思うと感慨深いものがある。


■  「ようこそ!新東宝の世界へ」では、『ひばりの鬼姫競艶録』(56、渡辺邦男)、『警察官』(57、並木鏡太郎)、『美男をめぐる十人の女』(56、曲谷守平)の3本。この中でとくに観ておきたいのは『警察官』である。実はこれ、内田吐夢のサイレント映画『警察官』(33)のリメイクなのである。内田版『警察官』は当時の日本映画には珍しい本格的な犯罪捜査を描いた映画で(実際に起きた事件をモデルにした)、骨太の演出とクライマックスの闇夜の大捕物を移動撮影で撮影したキャメラの凄さに驚嘆した。そのオリジナルにどこまで迫っているか、内田吐夢同様にサイレント時代のマキノ・プロからキャリアをはじめた並木鏡太郎が監督である。見逃す手はない(ただし未見なので品質の保証はしない)。『美男をめぐる十人の男』は、その後『海女の化物屋敷』(59)や『九十九本目の生娘』(59)などのカルト映画を監督する曲谷守平の監督デビュー作。こちらも要チェックである。


■  「名画 the NIPPON」からは5本。『美しき鷹』(54、マキノ雅弘)はマキノが「次郎長三国志」9部作の合間に監督した作品。1937年の3社競作になった同名の映画があるが、それとは全然関係ない。未見なのでこれは楽しみ。『白夜の妖女』(57、滝澤英輔)は泉鏡花の「高野聖」の映画化。妖艶な美女に扮するのは月丘夢路。映画の出来は戦後の滝澤英輔の平均的な出来、つまり可もなく不可もなくといったところだが、月丘のノーブルな美貌をうまく生かした企画であるといえるかもしれない。誘惑された男を牛に変える場面なんかかなり手抜きだったけど。『乾杯!ごきげん野郎』(61、瀬川昌治)は瀬川の東映時代を代表する1本。最近は音楽映画の傑作ということで再評価が著しいが、冒頭の養鶏場の場面からおもしろいのなんのって。ダークダックスによる吹き替えの主題歌もサイコー! 『武士道無残』(60)は松竹ヌーヴェル・ヴァーグの中でただひとり、京都撮影所所属であった森川英太朗の作品。武士社会の非道さを描くという主題はそれほど新しくもなく(すでに熊谷久虎の『阿部一族』などがある)、手法もとりたてて斬新ではないが、なぜこれがヌーヴェル・ヴァーグであるのか。田村孟がそう定義したからっていうのはなしね。当時の松竹京都撮影所がどんな映画を作っていたかを見ればこれでも革新的であったことが分かる。高田浩吉の諸作品をみれば納得。最後に『薔薇の標的』(72、西村潔)。東宝ニューアクションの牽引者であった西村潔のアクション快作である。彼もまた遅すぎた監督であったように思う。せめて岡本喜八や須川栄三のデビューと同じぐらいの時期にデビューしていれば・・・あるいは日活で長谷部安春と同じ時期にデビューしていれば・・・と想像すると、あの不幸な死に方はなかったのではないのか、現在の西村潔への評価ももっと変わるのではないかと思えて残念である。須川版『野獣死すべし』では役者としても出演していることだし、あの日本人離れした独特のマスクを生かせば、藤田敏八や鈴木清順のような行き方もあったのではないかと思うのである。


■  衛星劇場の「渋谷実 生誕100年記念特集Part5」は『モンローのような女』(64)と『十日間の人生』(41)の2本。前者はソフト化されていないが比較的観る機会があるが、後者は激レア作品。ほとんど知られていない作品だが、脚本は名コンビを組んだ斉藤良輔である。これは見逃せない。絶対絶対チェック!!

世の中は生誕100年の大安売りだが、まあそれがきっかけで日ごろ冷遇されているものにスポットが当ることは歓迎したい。そこで「井上靖生誕100年記念 井上靖の世界part1」である。なるほどねえ、作家できたか。『ある落日』(59、大庭秀雄)、『わが愛』(60、五所平之助)、『春のみずうみ』(56、岩間鶴夫)、『第二の恋人』(55、田畠恒男)、『白い牙』(60、五所平之助)の5本。とりあえず岡田茉莉子が絶品である『ある落日』は必見。岡田茉莉子こそが井上靖文学最大のヒロインであるという仮説は、岡田茉莉子主演作がずらりと並ぶ来月の本特集にでも。五所の2本『わが愛』と『白い牙』も是非観ていただきたい作品。なんてことのないメロドラマだが、五所の演出はあざとさがなくて悪くはないと思う。あとの2本は岩間鶴夫と田畠恒男に傑作・佳作なしなので観る必要なしといいたいところだが、そう言ってしまっては修正作家主義に加担してしまうというもの。スターで映画を観るという大多数の映画ファンの気持ちに戻ってもよいではないか。それに撮影所システムを知るためにはこうしたダメな監督の作品もたくさん見ておくことが肝心。こうした作品を浴びるほど見たおかげで、「ああやっぱ松竹はディレクター・システムだからつまらない映画は底なしだが、東宝はプロデューサー・システムだから水準は保っているし、東映はスターとお約束を楽しむことができる、ということが分かってくるのである。その上で、たとえば岩間鶴夫の作家性=つまらなさは、昔のテレビ昼メロのダラダラ感にも似ていると指摘できるのであって、そういえば岩間といえば60年代は映画からテレビに転じ、テレビ昼メロのパイオニアになったのであった、ということが指摘できるとわけね。ただしそのために人生の無駄な時間を使うことにはなるが。まあ、こういう無駄な時間というのが案外おもしろいんだけどね。受験勉強じゃないんだから効率で映画を観るってツマラナイでしょ!

先月から装いも新たになった「新銀幕の美女たち」のpart2は藤村志保。『なみだ川』(67、三隅研次)、『古都憂愁 姉いもうと』(68、三隅研次)、それに『怪談雪女郎』(68、田中徳三)という、代表作ともいえる3本。とくに三隅の前2本は地味な映画ながら傑作だと思う。最近はヨーロッパでの人気も高い三隅であるが、エキゾチズムたっぷりの時代劇よりもこうした人情劇こそちゃんと紹介してもらいたいもんである。が、日本でさえもキネ旬の映画監督辞典には旧版も新版も『古都憂愁 姉いもうと』がフィルモグラフィから漏れたままになっている。小津のフィルモグラフィでさえまともであったことが一度もないこの辞典、なんだかとってもお寒い感じがするのは、雪女郎の吐く息のせいばかりではないだろう(苦笑)。

「メモリー・オブ・若尾文子part23」では、『わたしを深く埋めて』(63、井上梅次)、『怒れ三平』(53、久松静児)、『無法者』(53、佐伯幸三)の3本を放映。ここの中で観ているのは、『わたしを深く埋めて』だけだが、これはハロルド・Q・マスルの翻訳ミステリを映画化した作品。日本映画における60年代のミステリ/スリラー映画の隆盛は、松本清張の登場とハヤカワ・ミステリの創刊とともに、改めて論じられるべきである。翻訳ミステリなんか1ドル360円の時代によく原作料を払って映画化したものだと思う。映画界が斜陽になりはじめた時代だとはいえ、まだ余裕があったのね。その証拠に翻訳ミステリは70年代に入ると、今度は映画からテレビに多くの原作を提供することになるのである。

■  「リクエスト・アワー」からは、『かくて自由の鐘は鳴る』(54、熊谷久虎)、『エノケンの怪盗傳・石川五右衛門』(51、毛利正樹)、『花火の街』(37、石田民三)、『銀座新地図』(48、瑞穂春海)、『素晴らしき金鉱』(41、斎藤寅次郎)、『二人だけの朝』(71、松森健)。この中でもっとも推薦する作品は、先月の引き続き石田民三作品である。傑作『花ちりぬ』(38)と『むかしの歌』(39)の影に隠れた感じがするが、いやいや『花火の街』もじゅうぶん佳作です。原作は大仏次郎。JOスタジオが東宝と提携した第1回作品でもある。最初にこの映画を観たとき、深水藤子を山中貞雄という固有名詞との繫がりでしか知らなかった下品な私であったが、この映画ではあまりにそのオデコが松田聖子にそっくりだったので驚いたものである。また、前回、石田民三と成瀬を比較してみたりもしたが、多様な石田作品をひとくくりで言い表すことができないにしても、どの作品にも成瀬にはない憂愁を見出しまうことを禁じえないはなぜだろうか。


■  東映チャンネルは、推薦作はどれも未見なので、題名だけ要チェック作品の題名だけ列挙しておく。『おゝい雲』(65、瀬川昌治)、これは3選を果たした現・東京都知事の原作。『胡蝶かげろう座』(62、工藤栄一)。相当に長らく観る機会が皆無だったはずなので、激レア。