3月のCS・BSピックアップ
2月はサボってしまってすみません。

さっそくチャンネルNECOのラインナップから。

ザ・シリーズ」では、千葉泰樹監督&加東大介主演の『大番』4部作が登場。作品は順に『大番』(57)、『続大番・風雲篇』(57)、『続々大番・怒濤篇』(57)、『大番・完結篇』(58)という並びで、正確にはシリーズというより連続ものである。原作は獅子文六が1956年2月から1958年4月にかけて「週刊朝日」に連載した小説。つまり、雑誌連載と平行して映画化が進められた作品なのである。物語は、四国・宇和島の寒村で生まれ育った“ギューちゃん”が兜町の風雲児として、立身出世していく姿を快活なテンポで描くというもの。映画版は、4部作中前3作がスタンダート・サイズ、最後の『完結篇』がスコープ・サイズという変則的な構成だが(キャメラマンは1部のみ完倉泰一、2~4部が西垣六郎)、「太閤記」にも比べられる出世譚を軽快に紡いでいく演出に乱れはない。

というか、千葉泰樹にとっても、加東大介にとっても、この4部作は代表作でしょう。なのに、千葉泰樹といえば、戦後の東宝の主軸路線である石坂洋次郎ものやサラリーマンものをソツなくこなし、常に塁に出る一番バッターにして、ヒットメイカーの職人というのが大方の評価であろう。そして職人は作家の対照的な位置にあり、「作家の映画」と「ウエルメイドな映画」とは映画の両極であるかのような言説を撒き散らかす連中にとっては、千葉泰樹は、成瀬巳喜男の戦後復調のきっかけとなった『めし』(51)を当初監督するはずだった監督という程度の知識しか持ち合わせないかもしれず、したがって『大番』4部作は案外観られていないのかもしれないが、語りの巧妙さと加東大介のキャラクターが渾然一体となったエネルギッシュな“ギューちゃん”の魅力を観るだけでも必見の映画であると断言しよう。典型的なマドンナ役として出番が少ない原節子よりも、加東大介の相手役を務める淡島千景の気丈ぶりが絶品。

その千葉泰樹が『大番』4部作の合間に監督した『下町(ダウンタウン)』(57)もチャンネルNECOで放映される。『めし』で千葉の代打を務めた成瀬は、これをきっかけにして林芙美子と出会い、傑作の森を築き上げていくことになるのだが、『めし』を降板した千葉は、この『下町』で初めて林芙美子と出会うことになる。東宝が1956年から2本立てレンガ積み興行に対応するためにはじめた中篇映画ダイヤモンド・シリーズの1本である。成瀬といえば、その作品に交通事故が不吉な影を落としていると指摘する論者は多いが、監督が千葉泰樹の『下町』であっても物語の幕切れが交通事故であるというのは興味深いところである。ちなみに林芙美子のただ一人の養子は、列車に乗っているときに連結部分に落ちて死んだと聞いたことがある(未確認)。

『大番』の原作者である獅子文六つながりでは、チャンネルNECOでは『なんじゃもんじゃ』(63、井上和男)がある。脚本は白坂依志夫。テレビや前衛演劇、CMなどの業界ネタを満載し、当世風俗を風刺した作品だが、残念ながら不発気味の一作。この時代から、わが道を往くオタクタイプの人種がいたんだということが分かるという点では貴重かも。しかしコーヒーを淹れる名人とは!

このほかチャンネルNECOの「名画座 the NIPPON」の枠には、『三日月秘文』(57、三隅研次)、『非行少年』(64、河辺和夫)、『誘拐』(62、田中徳三)、『たそがれ酒場』(55、内田吐夢)が登場する。

『三日月秘文』は、三隅研次&勝新太郎コンビの痛快時代劇。近年、フランスを中心にヨーロッパで評価著しい三隅は、大映の主軸スター「カツライ(勝雷)ス」の2人のそれぞれ代表作とでもいうべき作品を手がけた名匠だが、どちらかといえば市川雷蔵と組んだときのほうがよい。三隅は妾の子として生まれ、戦争ではシベリアに抑留され、かなりの苦労人であるが(本人曰く、屈折したのはシベリア抑留体験であるという)、となれば豪放磊落でアドリブ連発の勝新よりも、複雑な生い立ちを持ち、梨園から映画界に転身し、アドリブよりも様式的な所作を重んじた陰の雷蔵のほうが三隅と合うのは当然かもしれない。勝新が合うのは、森一生、その弟子筋の田中徳三と組んだときである。

『誘拐』はその田中徳三の作品。珍しく大映東京の現代劇。高木彬光原作によるサスペンス映画である。三隅が京都から出向して大映東京で撮った作品はだいたい失敗作だが、意外や田中徳三は、『鯨神』(62)など東京撮影所でもいいセンの作品を撮っている。『誘拐』では特に前半のサスペンスが悪くない。ネタが割れてからテンポが崩れるのが惜しいのだが。

『非行少年』は、非行中学生をセミ・ドキュメンタリー・タッチで即物的に描いた河辺和夫のデビュー作。出演者はほとんど無名。ただし同じテーマを独立プロでもっと先鋭的なやり方で徹底して描いた『不良少年』(60、羽仁進)に比べると、図式と甘さが目立つのは仕方がないかもしれない。羽仁の『不良少年』はヒットし、キネ旬1位など高く評価されたが、この河辺の『非行少年』は大コケし、以後河辺は長い沈黙を余儀なくされる。そして藤田繁矢(敏八)と共同監督した『にっぽん零年』(68)はオクラになるという呪われた映画人生を送ることになる。『にっぽん零年』が公開されたのは、実に34年ぶり2002年になってからである。

『たそがれ酒場』は内田吐夢の『血槍富士』(55)に続く中国からの帰国第2作。大衆酒場を舞台に、そこに集う人々の人間模様が歌とともに、時間を半日に限定して展開する。脚本はこれがデビュー作になる灘千造。これまたその後の映画人生は呪われたものというのにふさわしく、『たそがれ酒場』の好評でプロデューサーが企画した続編はシナリオの段階で中止、佐分利信監督の日本初のシネマスコープ映画はクランクイン直前にプロデューサーが失踪して中止。その後、米軍占領下の沖縄を舞台としたテレビ刑事ドラマのプロデュースを企画するも、才能のない監督によって失敗。晩年は三船プロの食客となるも、いずれも企画は実現せず、最後はドヤ街で暮らしていたという。だが、その才能と人物を慕って多くの人が彼のドヤを訪れた。監督の森崎東、脚本家の掛札昌裕といった面々である。なお、この作品は紀伊國屋書店からDVDが発売されており、リーフレットには私も解説を書いているので興味ある方は是非購入よろしく。吐夢の初期監督作『清き心』も収録。

日本映画専門チャンネルでは、「噺家のはなし」と銘打って快楽亭ブラック師匠セレクションの落語家映画特集。名物男・桂春団治ものが2本、森繁久彌主演の『世にも面白い男の一生・桂春団治』(56、木村恵吾)と藤山寛美主演の『色ごと師春団治』(65、マキノ雅弘)。個人的には前者のほうがおもしろかった。

『おかしな奴』(63、沢島忠)では、渥美清が戦後爆発的人気を得ながらも若くして交通事故で死去した二代目三遊亭歌笑を演じる。歌笑の持ちネタ「歌笑純情詩集」というのは今聞くとどこがおもしろいんだかサッパリ分からない。しかし、渥美清はさすが浅草育ちの芸人出身だけあって、口跡が抜群にいいことは確認できる。寅さんだけが渥美清ではないのだ。

『羽織の大将』(60、千葉泰樹)は大学の落語研究会出身の若手落語家にフランキー堺が扮する。落語そのものよりもマスコミと落語の関係が風刺したところがミソ。『の・ようなもの』(81、森田芳光)は森田芳光の商業デビュー作。まだ森田が今のように下品でなかった頃の映画である。伊藤克信の二つ目が深夜の街を歩いて帰る場面の初々しさは、今でもたまに思い出して、朝帰りの日に真似をしてみたくなる。秋吉久美子のソープ嬢にもお世話になりました(むっせむっせ)。

あとは一山いくらで、『金語楼の三等兵』(59、曲谷守平)、『泣き笑い地獄極楽』(55、浜野信彦)、『鬼の詩』(75、村野鐡太郎)、『陸軍落語兵』(71、弓削太郎)と続く。この中で観てるのは『鬼の詩』だけだけど、う~ん。

そういえば、昨年の『寝ずの番』(06、マキノ雅彦)といい、もうすぐ公開される『しゃべれども、しゃべれども』(07、平山秀幸)といい、なんか落語の映画が多いこの頃。一足先に拝見した『しゃべれども、しゃべれども』は、初めて平山秀幸の映画も悪くないんじゃない、と思ったのでした。

「視聴者リスクエト」では、珍しいところで青島幸男製作・監督・主演・脚本・音楽の『二人でひとり』(70)が登場する。これは未見なので楽しみ。こんなワンマン映画を藤本眞澄が共同プロデュースに名を連ね、天下の東宝で配給したというのが恐れ入る。今ならフジとタッグを組んでいる東宝で北野武がワンマン映画を作るようなものか・・・ありえな~い!

『百万人の大合唱』(72、須川栄三)は、福島県郡山市の実際にあった実話がベースの映画化。暴力団がのさばる街を音楽の力で浄化したと話に基づく。当然代々木系独立プロの映画かと思いきやこれも東宝(近代放映と合作)。この時期製作部門を切り離した東宝がいかに路線を模索していたか分かろうというもの。監督だって須川栄三という意外な人選。水を差すつもりはないけれども、『野獣死すべし』(59)のバタ臭さ、『けものみち』のダークさ、『君も出世ができる』(64)のモダンな感覚など微塵もない。須川栄三の作品は全作観ているが、『日本人のヘソ』(76)のような失敗作ですらなく、これがいちばん退屈だった記憶がある。

とまあ、東宝に限らず、撮影所システムの下では、昨今のようになんでもかんでも狭隘な作家主義にあてはめ、監督には作家と職人とそれ以外という乱暴な分類をし、「作家性の高い作品」と「ウエルメイドな作品」とが対極にあるような議論は無意味だということ。もちろん際立った個性を持った監督はいるし、どんな企画であれ、自分のスタイルを作品に刻印することのできる監督もいる。しかし、撮影所システム全盛時代は、そのまま5社協定であった時代であり、監督はそれぞれに会社に縛られた社員や契約者であり、よほどの巨匠でない限り、プロデューサーから提示された企画を、ときにホン(脚本)として出来上がったものを撮らざるを得なかったことを思い出してほしい。特に東宝はプロデューサー・システムを採用していたから、中堅以下の監督は得意であろうが不得手であろうが、必ずサラリーマンものを撮らされる宿命にあったといっても過言ではない。したがってフィモグラフィには統一感がないのも当然。むしろ作家主義が本来「作家主義政策」であるのなら、それだからこそそこにも作家の刻印を見つけてしかるべきだろう。冒頭の千葉泰樹にもそういう試みをして、できないことはないはずだ。だが、そんなことを何の役に立つだろう。かつてトリュフォーは「作品は消えても作家は残る」(うろ覚えだけど)と言ったが、それは「作家主義」が「政策」であったからだ。今ならこういうべきだろう。「作家は必要ない。作品がすべて」と。

実際、撮影所システム全盛時代、ディレクターズ・システムを採用していた松竹とプロデューサー・システムを採用していた東宝とで比べてみると、名もしらないような映画を観た場合、同じツマラナイにしても、まだ東宝の作品はなんとか観ることができるが、松竹のは底が抜けたような作品が多い。これは1990年代にスタジオamsという三軒茶屋にあった日替わり3本立て、しかもいわゆる名画・傑作は一切上映しないという小さなホールで、酢酸の匂いにむせながら(化学変化したフィルムの匂いである)、何年も大量にしょうもない映画を浴びるように観てきて感じた実感である。つまりやはり品質管理は必要なのだ。  ところで昨今の空前の日本映画バブルを見ていると、過剰にマーケティングを優先したテレビ局=広告代理店型映画と、映画ももの作りの製造業であるのなら品質管理は怠るべきではないと思うが、最低限の品質管理さえない映画の二極化が進んでおり、それはそのまま、ヒットの集中と形で現れているように思う。そのヒットする映画もおそらく残る映画ではない。さんざマルチユースで絞り取られ、数年後には忘れ去られるだろう。なんだがそれはとってもさびしく、貧しいことだと思う。

横道に逸れたついでに補足しておくが、業界の提灯持ちとパシリと化した映画ジャーナリズムには正論は求むべきもない。プロフィールや解説を恒常的に書いている身上からすれば、ちっとも影響力も透明性もない「日本アカデミー」についてバカバカしいと思っていながら、「日本アガデミー受賞」と書くことを否応なく強制させるし、「映画賞総ナメ」と書かねばならないとき、そもそも同じ審査員の面々ばかりが選んでいる映画賞で、Vシネマも入れれば千本を超える日本映画のうち、話題作をちょっろっと観ただけで映画賞を選出すれば、「総ナメ」になるのは当然。どうせ総ナメなら、勃起ぐらいされてほしいものである。

このような状態を映画雑誌がまともに取り上げるはずもなく、思考も中止、企業寄りの鈍感力ばかりがのさばり、実は今月のこうした日本映画の空前のバブルに対して最も刺激的な文章を掲載していたのは、雑誌「WEDGE 3月号」の「目先の利益に溺れて置き去りにされる長期的視点 モノ作りを忘れた邦画「大復活」は泡沫に終わるか」という記事であった。朝日新聞文化部の能天気ぶり/思考停止の大はしゃぎぶり、あるいはやキネ旬総研や日経エンタテイメントの業界ヨイショぶりとは好対照の骨太の批判なので、ヒマがある人は是非一読を。

脱線しすぎた・・・・反省(ダン池田になるつもりはないので)

衛星劇場である。渋谷実生誕100年part3はデビュー作『奥様に知らすべからず』(37)と『受胎』(48)の2本。いずれもSHV(松竹ホームビデオ)からビデオはリリースされており、TSUTAYAでも借りられるが、そう言っちゃ実も蓋もない。未見ならこういう機会でもないと観ないでしょ。再見ならぜひ録画の良用意を。ちなみに3月10日(土)~3月30日(金)までシネマヴェーラ渋谷にて渋谷実特集が開催される。

全18本、うち『奥様は知らすべからず』と『をじさん』(43)は、フィルムセンター所蔵プリントを借りての上映。初日の3月10日(土)のは、17:50から有馬稲子さんのトークが木全公彦こと私の聞き手で行われる。有馬さんのもう1本の渋谷作品の主演作『女の足あと』(56)はプリント状態が悪いので中止になったので、当然お話は『もず』(61)を中心に行われると思うが、実は市川市市民会館では、4月28日(土)13時30分から、『もず』の上映と淡島千景さんのトークイベントがある。ご承知のように『もず』は母娘が愛憎模様を繰り広げる話だが、その母親役は淡島千景さん、娘役が有馬稲子さんなのである。つまり両方のトークを聞けば、親子の意見を拝聴できるというわけ。ちなみに市川市には『もず』の原作・脚本を書かれ、今井正や成瀬巳喜男と名コンビを組んだ脚本家・水木洋子邸があり、現在一般に公開されている。

市川市文学プラザ企画展

恒例の「メモリーズ・オブ・若尾文子 part21」では、『女は抵抗する』(60、弓削太郎)、『氾濫』(59、増村保造)、『母子鶴』(52、小石栄一)の3本、『女は抵抗する』は渡辺プロを社長であった渡辺美佐をモデルにした映画。おそらく日活の『嵐を呼ぶ男』(57、井上梅次)にも渡辺美佐をモデルとしたとおぼしき女性が出演するから、その大ヒットに刺激された作品なのだろう。当時の人気歌手が多数出演(坂本九・山下敬二郎etc)。でも弓削太郎に期待は禁物。バンドを切り盛りする文子タンのハッスルぶりに期待して、今度の都知事選の内助の功に思いを馳せてみよう。『氾濫』はもう何度もリピートしているから省略して、『母子鶴』は大映お得意の《3倍泣かせます》の三益愛子主演の母もの。文子タンはその娘。妹に江利チエミ。しかしサイレント時代には傾向映画の傑作といわれている『挑戦』(30)、『十三番目の同志』(31)をものにした小石栄一がもっぱら大映時代は、お涙頂戴の母ものばかりを監督していたのは大きな謎である。

「銀幕の美女シリーズ」は芦川いづみ特集。実は文子タンよりも私はおムギ(宝塚時代、有馬稲子に容姿が似ているがネコちゃんよりはセンが細いので、稲ではなく麦)の大ファンなのである。今回放送されるは、おムギファンなら3本の指に入る作品として評価の高い『佳人』(58)、ブラック・ユーモア満載の『結婚相談』(65、中平康)、そして野球映画『東京の孤独』(59、井上梅次)の3本。

多くのおムギファンが指摘しているように、芦川いづみという女優は、『東京マダムと大阪夫人』(53、川島雄三)でデビューし、以後川島雄三のお気に入り女優となって、川島が日活に移籍すると、おムギも日活に移籍する。肢体障害者であった川島は、『風船』(56)で片手が小児麻痺で麻痺した純粋で天使のような少女の役をおムギに振る。これが世の中のメシア・コンプレックス(救世したいと思う心)を刺激したのか、おムギは石原裕次郎などの男性俳優相手に快活なお嬢さんの役も演じるが、最も光るのはどこか障害を持っていながらも心は純粋という役柄を演じたときという、ザンパノにおけるジャルソミーナ的存在として男性の保護欲を駆り立てていく。文字どおりフェリーニの『道』を換骨奪胎した『硝子のジョニー 野獣のように見えて』(62、蔵原惟繕)はその代表作だが、小児麻痺で車椅子の美少女の純愛を描いた『佳人』もその1本。そんな彼女が金子信雄に犯される場面には涙があ~。

『結婚相談』は奇怪なブラック・ユーモアと皮肉が効いた作品。導入部からして、友人の結婚式に出席したおムギが三面鏡を前にして、溜息をつき、オールドミスになったことを嘆くというすっごい出だしでびっくり。本編に入ると、お見合いしては騙されて貯金は取られるわ、売春組織に巻き込まれるわで、おムギは笑っちゃうほどのこてんぱんの目に遭う。そのたびに街宣カーが「あなただけはと信じつつ、恋に溺れてみたかった~」とスピーカーから流しながら走る姿が挿入され、痛烈な皮肉をチクリ。もしかしておムギのメシア・コンプレックスを刺激するキャラを逆手に取ったのか、ともかく変な作品である。

ファンサイト 芦川いずみさんの部屋

「リクエスト・アワー」からは石田民三の空前絶後の大傑作『むかしの歌』(39)が登場。何もいうまい! 必見! 必見! 必見! ほかにも『東京のえくぼ』(52、松林宗恵)、『白薔薇は咲けど』(37、伏水修)、『背徳のメス』(61、野村芳太郎)、『熱砂の誓ひ』(40、渡辺邦彦)、『卒業旅行 Little Adventurer』(73、出目昌伸)など。『卒業旅行』でもエピソードをひとつ。『オリバー!』(68、キャロル・リード)で人気が出て、日本では『小さな恋のメロディ』(71、ワリス・フセイン)で人気沸騰。東宝創立40周年記念映画として、彼をイギリスから招いて製作されることになった。ところがイギリスといえば階級社会で、いくらマーク・レスターが日本で人気のある子役スターとはいえ、労働者クラスで家族と一緒に来日した彼と彼の家族は、安っぽいハンバーグ・セットばかり食べていたという。その彼も何年か前に「あの人は今」みたいな番組でカイロプラクターになっているのを知った。やはり子役のその後はむずかしいということなんですね。『小さな恋のメロディ』で共演したジャック・ワイルドも昨年若くして死去したことだし。合掌。