映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第71回 「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」物語 その1
アルバム『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』

ジョン・スウェッド著『マイルス・デイヴィスの生涯』

アルバム『ビッチェズ・ブリュー』


『死刑台のエレベーター』サントラ盤
マイルスのメジャー宣言
マイルス・デイヴィスがアルバム「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」“Round About Midnight”(SONY。原盤CBSコロンビア)のタイトル曲を録音するためにスタジオに入ったのは1956年9月10日のことである。この日が、同アルバムに結実するセッションとしてはラスト三回目で、最初のセッションからは一年近く経っていた。全セッション十曲がマスター・テイクとして残され、そこから六曲がアルバムに収録されている(その後、残る四曲も同アルバムCD盤に収録)。「マイルス・デイヴィスの生涯」(ジョン・スウェッド著。シンコーミュージック・エンタテイメント刊)によるとアルバムに聴ける六曲には「エディット(録音テイクをつぎはぎ編集することを言う。上島注)」されたものもあるようだが、この件は普通に聴いているだけの私たちでは分かりようがない。「当時、コロンビアはレコーディングにおける編集技術に関して先駆者的立場にいた。レコーディング初日に録音された素材の中から、ベストなソロが選ばれ、リリーステイクに編集された」とのことである。
このアルバムは57年3月に発売され、とても評判を呼んでいる。私が生まれる二年も前のことだから、もちろん私がリアルタイムで知っているわけじゃないが、その十九年後の76年初頭、二枚目に購入したマイルスのアルバムがこれだったのを思い出す。田舎町唯一のレコード屋さんで「ジャズ」という大ざっぱなくくりのコーナー、全部で百枚から二百枚程度しか置いていなかったのではないか、と思うのだがその内の貴重な一枚だった。ちなみに初めて買ったマイルスは「ビッチェズ・ブリュー」“Bitches Brew”の「4チャンネル盤」でこれもコロンビア作品。75年初冬のことだった。アルファベットを見れば一目瞭然、正しくは「ビッチス・ブルー」なのだがこればっかりは日本語タイトルで勝手に直せない。発音問題にうるさいピーター・バラカンさんはジャズ評論家村井康司との対談の中で「ビチスブルー」と言っているようなので、皆さまも今後発音する際はそうするのが良いと思う。「ビッチェズ」に始まるもう一つのマイルス、いわゆるエレクトリック・マイルスを巡るテーマはまたいずれとして、今回からはアルバムのタイトルになったこの楽曲の魅力について述べていく。もちろん本連載の大テーマは「ジャズ史と映画史の交錯」であるから、幾つかの映画作品についてもおいおい言及することになる。

さて、実は本連載でマイルス・デイヴィスを取り上げるのは今回が初めてではない。このネット版「映画の國」に引っ越してくる前の第3回、フリーペーパー版の頃に映画『死刑台のエレベーター』“Ascenseur pour L’echafaud”(監督ルイ・マル、58)のサントラ盤(原盤フォンタナ)を紹介している。この時期は本連載も文字数の制限があり委細を尽くして語る、という感じじゃなかった。ヌーヴェル・ヴァーグ映画とその周辺の環境についても改めて論ずるつもりである。
マイルスが渡仏したのは57年の秋冬で、これは前年56年秋冬、レスター・ヤングやMJQ達と一緒のパッケージ・ツアーが好評を博したことに気を良くしての初海外単独ツアーだった。かように新世代のジャズマンとしてマイルスの名前が筆頭に挙げられるようになったのは、アルバム「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」の好セールスが大きい。レコード・セールスという時、現在でもメジャーとインディーズとではセールス枚数がゼロひとつふたつ違う、という状況なのは御承知の通りだが、この当時のアメリカのジャズ業界においても一緒。簡単に言えばジャズ・プロパー(専門)のレーベル、ブルーノートやプレスティッジが「インディーズ」数百枚の世界であり、コロンビアが当時を代表する「メジャー」数万枚の世界であった。良いレコードを作って、プロモーションにお金をかけ、お金に見合ったセールスを引き出す、それがその演奏者を有名にし、よってプロモーションに費やすお金が無駄でなかったことを自ら証明する。この富が富を生む循環をシステマチックに達成できるのが「メジャー」レコード会社の強みで、マイルスは、このアルバムからこうした良循環のスター・プレイヤーとなったのだった。それまでのマイルスはブルーノートとプレスティッジのプレイヤーだった。要するに「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」というアルバムはジャズ・トランペッター、マイルス・デイヴィスのメジャー宣言なのである。
今回のテーマは端的に言えば「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」聴き比べなので、DJ番組だったらここで一曲、という進行になるはずだがあいにくとそういうメディアじゃないから原則無理。なので、以下に記述する版をレコード、CD等で見つけてそれぞれ勝手に楽しんでから随時ここに戻っていただきたい。またユーチューブにアップされたものに関しては、タイトル(英語“round about midnight”)で検索するとごそっと出現する。レコードからアップされた物もとても多い。この件は後述。ただ、そこに「アップされている」というだけでは聴き方のツボは分からないと思う。それにはっきり言ってこのメディアは玉石混交で、聴く意味がないものも山ほどアップされている。いちおうジャズ史的(時に映画史的)意義を述べながら、重要な版をピックアップするつもりもある。本連載担当者の方が例によってこつこつとその作業に当たってくれることに期待する次第である。そうすれば本連載を読みながら聴いていくことも出来る。いわば聴き方の「入門」篇となろう。それらをまず聴いてから改めて玉から石まで、ご自分でチェックされたら良いと思う。