映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第51回 60年代日本映画からジャズを聴く  その9 セロニアス・モンクの衝撃と「喧嘩セッション」
「バグス・グルーヴ」と「ザ・マン・アイ・ラヴ」
「気まぐれキーボード」はアルファベットでAからZまでの小さな項目インデックスを立て、音楽や趣味の料理のことなどをつづる形式。そのTの項が「THELONIOUS MONK」になっている。八木の、モンクとの関わり、そのきっかけや音楽的影響力を思い出すままに記述するものだ。「MONKを初めて聴いたのはまだ十八歳位の時だった。まるで訳判らず、でたらめのようにも聴えたし、下手くそのようにも聴えた。(略)でたらめを弾いては“これぞモンク”なんて遊んでた。この頃の人がガチャガチャ弾いて“山下洋輔”なんて言ってるのと同じ」。


「マイルス・デイヴィス・アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ」

「マイルス・デイヴィス・コンプリート・ディスク・ガイド」
ここでふっと山下の名が出てくるのがきわめて面白い。八木にとって山下という存在は時々奇妙な方向から突然に出現することがあり、これがその一変奏。文脈をきちんとたどるなら、八木はこの時点ではまだモンクに音楽的には出会っていないと言うことが自覚的に語られているだけなのだが、それでも「モンク=山下」という連想にはそれなりに意味がある。山下洋輔の対談集「ピアノ弾き乱入列車」(徳間書店刊)には「ぼくたちはT・モンクが好きだった」という八木との対話が収められており、この件は次回に述べよう。
それから五年、八木は「ビー・バップも多少は判りかけた頃秋葉原の『エラ・ヴォーン』という喫茶店で聴いたセロニアス・モンク」で「音楽に対する考え方までがすっかり変わってしまった」。この時に八木が聴いたのはアルバムで言えばマイルス・デイヴィス(tp)がリーダーの「バグス・グルーヴ」“Bag’s Groove”(Prestige)。その表題曲である。録音されたのが1954年のクリスマス・イヴなので通称「クリスマス・セッション」と呼ばれることもあるが、一般的にはもっと物騒な(マイルスとモンクの)「喧嘩セッション」の名で知られるものだ。喧嘩と言ってももちろん殴り合うわけじゃないし、相手の演奏を邪魔したり割り込んだりするのでもない。普通音楽で喧嘩、というならそういう場面を想像するのではないだろうか。
このアルバム、この演奏はジャズ史に残る名演として今も知られる。ただし何が起こっていたか、実はこのアルバムを聴いても分からない。それを知るにはもう一枚、この同じクリスマス・セッションから数曲収録されているもう一枚のアルバム「マイルス・デイヴィス・アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ」“Miles Davis and the Modern Jazz Giants”(Prestige)の中の「ザ・マン・アイ・ラヴ」“The Man I Love”テイク2を聴く必要がある。参加したのはマイルス、モンクに加えてミルト・ジャクソン(vib)、パーシー・ヒース(b)、ケニー・クラーク(ds)の計五人。この録音時の模様は色々に語られるが、小川隆夫の「マイルス・デイヴィス・コンプリート・ディスク・ガイド」(東京キララ社、三一書房刊)を使ってまずまとめておこう。
「マイルスはレコーディングに際して、モンクに自分のバックではピアノを弾くなと言い渡す。プライドの高い彼は、それに腹を立てて、マイルスがソロを終えても演奏しようとしなかった。(略)両者の一触即発的な緊張感が、このときの演奏をこの上なくスリリングなものにした、というのが伝えられるエピソードだ」。もっともプレスティッジのオーナー、ボブ・ワインストック(本セッションの企画者、プロデューサー、上島注)は「そんなのはデマだ。(略)言い争いもなければ、殴り合いもなかった。(略)彼らは互いを深く尊敬し合っていた仲なんだから」と後に述べた。続いて当事者マイルスの言葉を小川は紹介する。
「スタジオで(略)リハーサルしていたところ、モンクが急に外に出ていった。それでヤツを抜いて練習したら、非常にシックリいったんだ。戻ってきたときに、だから、オレのバックではピアノを弾かないようにと言ってやった。ヤツのピアノはホーン楽器、とくにトランペットと相性が悪い。(略)オレとはシンコペーションの感覚が違うから、バックでコードを弾かれると、スペースが埋められてしまったり、タイミングが狂ってしまうことがある。ただしモンクのピアノはある面で最高だ。あんなに独特なフレージングと間のとり方ができるヤツはいない」。