映画の中のジャズ、ジャズの中の映画    第14回 山下洋輔大復活祭と「ミナのセカンド・テーマ」(中編)
そういうわけで早速『荒野のダッチワイフ』を見てみた。これはかなり前にビデオでも出た。で、今回DVDを見ると何か違和感が残る。記憶とちょっと違うのだ。もっと構図が大胆でメリハリが効いていた感じがしてならない。

しかたがないのでビデオと見比べてようやくその理由がわかった。本来、劇場で見られたフィルムはれっきとしたシネスコなのだが、DVD版は少しビスタサイズに近いのだ。シネスコとビスタの違いというのを一言で言えば、横にぐいっと長いのが前者、その左右をちょいちょいっと断ち切った(こういうのを「トリミング」という)感じにしたのが後者。最近の日本映画はビスタが主流、アメリカ映画はシネスコも健在、という状況だ。劇場版がシネスコでビデオ版がビスタ、というのはフィルムをビデオ変換して収録する際に左右をトリミングすれば当然そうなる。かつての東映ビデオがその方針でやっていた(現在はノー・トリミングが大原則)わけだが、この『荒野のダッチワイフ』はどうやら「東映ビデオ方式」ではなさそうだ。原版をそのまま収録したらこうなっちゃいました、という感じの画面で不思議と言えば不思議だが、多分それが唯一考えられる理由である。要するに撮影自体シネスコではなかったのだ。そのあたりの考察は本論と関係ないので今回はそれ以上詮索しない。

映画ではタイトルバックにさっそく山下洋輔ピアノ主体のフリージャズがガンガンと演奏されて、のっけから快調。ただしクレジットを読んでいくと音楽担当は山下でなく相倉久人であった。山下は作曲者。そして演奏は「山下洋輔カルテット」となっている。メンバーは記されていないが前回に記載しておいた内、ドラムスが豊住芳三郎から森山威夫に代わっている。ということは初代トリオに吉沢元治のベースが加わった形になる。このカルテット編成になる音源はレコードでは残されていないから、それだけでも映画は貴重だ。ピアノ、ベース、ドラムス、テナーサックスという楽器編成はジャズでは最もおなじみのもので、例えばジョン・コルトレーン・カルテットがそうだ。

アルバム「ミナのセカンド・テーマ」が08年にCD復刻された際、新たに付された平岡正明のライナーノートを読むと、このあたりの感覚が理解できるだろう。07年にこの映画を見た菊地成孔(ジャズミュージシャンであり、また映画音楽家としても今年は『パンドラの匣』を手掛けている)と秋山道男(「無印良品」を企画した人物として有名だが、60年代には若松プロで助監督をしていた。また『ゆけゆけ二度目の処女』では俳優として堂々の主演!)の感想を記録しているので引用する。

菊地と秋山は、六七年段階の山下洋輔4がハードバップ・コンボだったことに驚いていた。ことに筋肉質な中村誠一のテナーサックスがコルトレーン派なのだ。同じ「ミナのセカンド・テーマ」でも六七年の大和屋竺監督作品ではハードバップであり、六九年十月吹込の本アルバムではフリースタイルである。

ちなみに別の箇所で平岡はわざわざ「ドラムスは森山威夫ではなく豊住芳三郎のはず」とも書いているが、これは単なる記憶違いであるから特記しておく。映画音楽のために山下達が集まった時点で、豊住がミッキー・カーチスのグループに参加しヨーロッパ楽旅のさ中だったことをかつて記したのは、他ならぬ平岡だったのだから。九月に豊住が脱退し、数日後には森山が加入している。録音は十月である。

さて、一般的には69年結成のトリオが山下のフリー時代の始まりであって、それ以前、つまり『荒野のダッチワイフ』時代の山下はまだフリージャズを演奏していなかった、と言われている。上の引用もそれを印象づけるが、虚心に聴くとこの映画音楽は十分フリージャズである。そして面白いことにアルバム版「ミナのセカンド・テーマ」は割と静謐でおとなしい。それこそコルトレーンJohn Coltraneの「インプレッションズ」(インパルス!)“Impressions”IMPULS!とか「至上の愛」(同)“A Love Supreme”IMPULS!を連想させるメロディだ。私の感想を尊重すれば菊地、秋山、それに平岡の感想と全く逆になってしまう。これはどういうことか。どちらかが間違っているのか。簡単に述べればどちらも間違いではない。菊地、秋山、平岡は67年と69年の山下グループの「違い」を聴きとったのだが、私は両者の「違わなさ」を聴いているのである。67年の山下カルテットと69年の山下トリオの「違い」はベースがいるかいないかであり、一般的には、ベースがいることでジャズはテンポが安定するとされている。山下トリオが注目されるのは、ピアノとドラムスとサックスの音楽的均等性を前面に押し出したスタイルにあり、三者の演奏が白熱するとテンポ感覚がマヒするというかスピードアップしたような錯覚に陥る。これがピチカート(指ではじく「ブンブン」と鳴る音)による音楽の基盤となるベース音の「無い」ことの一番の功績である。

森山を差して山下はこの時期「リズムは、必ずしもテンポを一定に保つ必要はない。そんなことをせずスイングできるドラマーにぼくはめぐりあうことができた」と記している。しかし67年のカルテットにはベース奏者が配されていることでピアノ、ベース、ドラムスの標準的トリオに管楽器(この場合サックス)が加わる、というありがちな形態になっているから、テンポも安定する道理である。オーソドックスなジャズの音も聞こえる、ということになる。だからこれを称して「ハードバップ」とするのも理解できるが、しかしとりわけタイトルパートで鳴っているジャズは吉沢のベースがアルコ(弦を弓で弾く「キーキー」と鳴る音)を多用することで管楽器的役割を強調されている。つまりベースはテンポをつかさどる楽器として使用されず、むしろ四者の均等性が達成されている。ここには明らかにトリオの音楽の前身が認められるわけで、そうした点に注目するならば67年と69年の山下グループに質的な違いはないことになる。

78年に編集出版された単行本「山下洋輔の世界」(編集:相倉、平岡、奥成達、中沢まゆみ、ジャムライス。エイプリル出版刊。絶版)はその時点での山下評価を雑誌、単行本、興行チラシ、書評、ライナーノート等からの抜粋で編んだ極めて優れた成果だが、その中に『荒野のダッチワイフ』の音楽がどのように制作されたかを、相倉自身が記述した文章を読むことができる。それによれば監督の大和屋は「なかなかのジャズ通」で監督第一作『裏切りの季節』ではやはりジャズピアニスト佐藤允彦を起用していた。相倉と大和屋は新宿のジャズ喫茶ピットイン(といってもレコードをかけるのではなく日本の若手ジャズメンの演奏場所で酒、コーヒーを演奏時、客に供するシステム。当時と場所は変わったが現在も営業中)で知己となり、その縁で、大和屋が相倉にサントラ制作を依頼した。「かといってこちとらは楽器が弾けるわけでもなければ、作曲をするわけでもない。そこで当時の山下洋輔カルテットにつきあってもらうことにした」。ここからは全面引用を。

このときぼくが使った方法は、映画音楽としてはかなり変わったものだった。大和屋の詞に山下が曲をつけたテーマがあるところまでは定石どおりだが、あとはそのテーマと、もうひとつ、彼らの得意なレパートリーを、それぞれ三〇分近く演奏したテープが二本。その演奏をこちらは金魚蜂(ミキシング・ルームの俗称)のガラス越しに眺めながら、ストップ・ウォッチ片手に原稿用紙をつなげたタイムテーブルにメモしていく。7分35秒ピアノソロ、9分08秒リズム加わりドシャメシャ、10分22秒テナー、スニークイン、13分16秒ベース、アルコで入ってくる。といった調子だ。演奏はここまで。そのあとのダビングで、ラッシュの画面と、さきほどのタイムテーブルを交互に眺めながら「エート、二本目のテープの十五分半ぐらいのところを出してください」(中略)てなぐあいで、監督とふたりでギャアギャア騒いでいるうちに、一昼夜半たち、ダビングは無事完了。

このようにして作られたのが現在、映画で聴かれる音源であった。はっきり明言されているのは、演奏された作品たるジャズ、つまりそれ自身で完結し、本来映画の物語とも感情表現とも関連を持たない素材を相倉の意思で「勝手に」分断して使うという方法論である。それにより初めて画面と音楽が支配したり支配されたりする関係から自由になる。このシステムは一見『大運河』サントラ「たそがれのベニス」(アトランティック)“No Sun In Venice”ATLANTICを担当したMJQのジョン・ルイス(物語から人物それぞれのテーマ音楽を創作)や『死刑台のエレベーター』“Ascenseur Pour LEchanfaud”のマイルス・デイヴィス(画面を見ながらグループ演奏で雰囲気を醸成した)とは完全に反対に思えるけれども、少なくともハリウッドで一時期主流であった「画面」と「音楽」のシンクロ(同調)という原則から離反しているという意味では同じ方向性を有している。大資本を投入して製作されるごく一部のアメリカ映画を除けば、この方向が現在世界の映画における音楽システムを決定づけているのは間違いない。初期トーキー時代のディズニー・アニメーションで目指されていたような過度のシンクロを「ミッキー・マウシング」と呼んだりするが、これは現在概ね悪口である。このことからも、システムの転変がうかがえるのである。(以下次回)