映画の中のジャズ、ジャズの中の映画    第12回 ノーマン・ジュイスン『夜の大捜査線』とクインシー・ジョーンズ(後篇)



クインシー・ジョーンズ

ノーマン・ジュイスン

レイ・チャールズ


映画『夜の大捜査線』は様々な点で「60年代的な映画」だと言える。

原作はジョン・ボールのミステリー「夜の熱気の中で」“IN THE HEAT OF THE NIGHT”。映画の原題も同じ。連作シリーズだがその最初の作品で、主人公は黒人刑事ヴァージル・ティッブス。演じたのはシドニー・ポワチエであった。本作の60年代性というのは言うまでもなく、まず「インテリの黒人エリートが無知な白人をやっつける」というコンセプトにある。この件は後述する。舞台はアメリカ南部で、架空の田舎町スパルタ。何故わざわざ「架空」と書くかというと、ロケが行われたのはイリノイ州に実在する町スパルタなのだが、明らかにミシシッピー州をイメージしているのだ。「反白人」的な作品のスタンス故に「ディープ・サウス」ミシシッピーでのロケを断念したのだと考えられている。物語は、フィラデルフィア警察の殺人課刑事が、たまたま里帰りしていた南部の町で殺人の容疑者として拘束されてしまったところから始まる。もちろん誤解はすぐに解けるのだが、勤務先の上司命令で事件を捜査することになったヴァージルは、地元警察に協力してことに当たる。人種偏見の塊りのような地元スパルタ警察署長ギレスピーに扮したのはロッド・スタイガーで、主演男優賞のオスカーを獲得している。黒人への人種差別から徐々に彼が脱していく過程がもう一方のコンセプトで、事件解決後、二人が駅で互いに敬意を抱いて別れていく様子がラストシーンとなる。脚本を執筆したのはテレビ畑の人材と見られていたスターリング・シリファントで、後年の『ポセイドン・アドベンチャー』『キラー・エリート』と並ぶ代表作とした。また表現スタイルの面からその60年代性を記述しておくならば、撮影のハスケル・ウェクスラーと編集のハル・アシュビーの存在がキーになる。この二人によるドキュメンタリー的な映像(及び編集)テクニックは『ラブドワン』に始まるが、この『夜の大捜査線』の完成度で多くの映画人に衝撃を与えたのだった。

そして音楽のクインシー・ジョーンズは当時、ジャズメンというよりはハリウッドを拠点とする映画音楽家としての活動に重心を置いていた。シドニー・ルメット監督『質屋』、シドニー・ポラック監督『いのちの紐』、エドワード・ドミトリク監督『蜃気楼』等で既に十分評価されていたのだ。最初に注目を浴びたのが『質屋』で、自身のジャズ人脈をフルに活用してディジー・ガレスピー、フレディ・ハバード、エルヴィン・ジョーンズ、ドン・エリオット、ボビー・スコット等のミュージシャン、またアレンジャーのオリヴァー・ネルソンを起用している。ただしこの作品はハリウッド製というよりもニューヨーク映画の趣きが強く、しかもきわめて低予算。それが良い方に作用して、いかにも手作り感覚のジャズ音楽も大いに評価されたわけだが、それ以後に担当した映画は中規模予算作品ばかりで、かえってクインシーの出自がよくわからなくなっていた。クインシーも、初めてハリウッドの大撮影所に迎えられた時の自分を見る白人達の奇異の表情に違和感を覚えたというが、そうした環境においては、むしろ彼の知性が邪魔して自分を「白人寄り」な立場に位置付けてしまっていたようだ。東海岸(ニューヨーク)のジャズと異なり、西海岸(ロサンゼルスやハリウッド)のジャズは映画産業と緊密に結びついてスタジオ・ミュージシャン兼任のジャズメンを多く生み出していたが、そうなると人材は、譜面を読むのに長けた白人ミュージシャン中心に自然となっていく。その中で、黒人でありながらもフランス留学まで果たし、大編成のアレンジをも楽々とこなすクインシーのような存在は、疑似白人的なスタンスを取らざるを得ない。今にして思えば、黒人だからといって黒人風音楽をつけなければならない、という決まりはないわけで、初期クインシー映画もそうした観点から見直されるべきではある。あるけれども、その一方で、スムーズにハリウッドの映画産業に入り込んでしまった純粋な黒人音楽家という存在が当時、まさに「鵺(ぬえ)」としか思われなかった事態も理解されよう。人種差別が常態の社会で、それを無視できるほどに才能にもお金にも恵まれたハンサムな黒人の若者。それがクインシー・ジョーンズである。多くの黒人から嫌われたのみならず、彼が溶け込んだつもりの白人社会からも実は嫌われていたというのが、この時点でのクインシーの立場だったのだ。そんな時に持ち込まれたのが『夜の大捜査線』の企画であった。

この映画は、当時最も勢いのあった独立プロ製作者のウォルター・ミリシュが新進気鋭の監督ノーマン・ジュイソンと組んで企画した作品。ミリシュの得意技は、金は彼が出し、企画は監督に好きなことをやらせて、なおかつ監督を共同製作者に指定するというパターンである。こうすることで映画一つ一つが監督をトップに据えたプロジェクト体制になり、スタッフ編成が身軽になるわけだ。しかも興行的に失敗すると監督にも得がないから、必然的に勝手気ままな行動が抑制される。まさに一挙両得。ただしそうは言っても、はっきり黒人をヒーローにした『夜の大捜査線』は冒険的なプロジェクトだったはずだ。特に面白いのは、この映画には「一見温厚だが、実は根深い黒人偏見に凝り固まった老農場主」を黒人刑事がぶん殴る場面が描かれていること。先に黒人が殴られてはいるのだが、それでもこのカットに込められた気迫は現在でも十分感じ取れる。そういう映画に参画するのだから、クインシー・ジョーンズにも格別な覚悟が必要だったのは言うまでもない。ジュイソンとミリシュにクインシーを推薦したのは多分シドニー・ポワチエだろう(既に『いのちの紐』で一緒に仕事をしている)。ポワチエは製作者ではないが、既に『野のユリ』でオスカーを獲得しており、黒人俳優として当時ハリウッドで大きい発言力を持っていた。この映画でも多分一番強い立場にいたのはポワチエである。そうした状況もあって、この作品でクインシー・ジョーンズは久々に、黒人アレンジャーという出自を映画音楽家という公的な立場にはっきり優先させている。ただし『質屋』に聴かれた現代的ジャズとは少し異なる地点に立っているようだ。

それがまずわかるのはレイ・チャールズの起用である。盲目のブルース歌手(とはいえ土着的な南部のブルースではないが)として日本でも有名なレイ・チャールズ(「いとしのエリー」をカヴァーしたことで若い人にも知られるようになった)は少年時代からクインシーとは友人同士で、成長してからもアルバム「ジニアス+ソウル=ジャズ」のアレンジをクインシーに託している。これは61年のインパルス・レーベル作品(製作はクリード・テイラー)だが、それ以来のレイとの共同作業がこの映画冒頭で聴かれる「夜の熱気の中で(真夜中のバラード)」である。これはいわばレイ・チャールズを旗印にしたクインシーの黒人音楽家宣言であり、同時にそれがジャズ一辺倒でなく、むしろより黒人大衆に身近な都会的で洗練されたブルースを基調にしていたところに意味がある。つまり彼はジャズに回帰したのではなく、むしろジャズを通過して、より広いマーケットを潜在的に有するR&B(リズム&ブルース)のジャンル世界に着地したのであった。こうした彼のやり方はビジネスを芸術に優先させたものとして、現在でも純粋なジャズファンからは反感を呼んでいるが、正確にはビジネスというよりも彼が黒人音楽のストリート(路上)感覚に敏感な点に起因するものなのだ。そこで注目に値するのはもう一人の盲目ミュージシャン、ラシャーン・ローランド・カークの起用である。彼は複数の管楽器を口と鼻で同時に演奏するスタイルで知られるジャズマンだが、ともすれば「きわもの」「ゲテモノ」扱いされがちな彼の演奏にみなぎる豊饒なメロディスト、それも声と楽器音が混成したかのような独自な歌手ミュージシャンとしての側面を最も愛したのがクインシーである。そしてさらにもう一人、楽器を使わない「マウス・パーカッション」ミュージシャン、日本語でいう「口三味線(くちじゃみせん)」のエキスパート、ドン・エリオットを大々的にフィーチャーしたBGMも同じく貴重な選択と言える。レイ・チャールズ、ローランド・カーク、ドン・エリオット。彼らの音楽は何より、クインシーのジャズマンとしての支配力を「声の力」で振り切ってしまいかねないところに魅力があり、それに意識的だったのが他ならぬクインシー自身だった。

そのように考えてくると、この作品には当時としては珍しいほどに歌が多いのに気づく。レイ・チャールズ以外にもギル・バーネル、グレン・キャンベル、ブーマー&トラヴィスがアラン&マリリン・バーグマン夫妻の歌詞によるボーカル・ナンバーを披露しているのだ。それらの中には明らかに黒人音楽の範疇に入らないものも含まれているが、これも作曲はクインシーである。そこには、れっきとしたジャズマンでありながら平気で黒人ぽさを隠蔽することもできてしまうクインシーの器用さが生かされているわけだが、先に述べたようにそうした隠蔽が(周囲からは誤解されたにせよ)、当時袋小路に入りつつあったジャズのメインストリームから自身を解放しようとする試みと連動していたことを認めないわけにはいかない。彼にとってライバル、というより当時もはや手の届かない高みにいたジャズ・トランペットの「帝王」マイルス・デイヴィスが、やはり彼なりの方法論により袋小路から脱しようとしていたこととも、現在振り返れば連動していたことになる。