第20回 ルイーズ・ブルックス生誕百年、アンリ・ラングロワ、ジャック・フェデール






今年は20年代後半に活躍した伝説の女優ルイーズ・ブルックス生誕百年にあたる。彼女の誕生日は1906年11月14日。

ルイーズ・ブルックス協会

ブルックス生誕百年関連行事

米リッツォーリ社からピーター・カウイ著、ブルックスの美麗な写真集『ルイーズ・ブルックス:ルルよ永遠に』(英語、240頁)が発売中。

米クライテリオンからもブルックス生誕百年にあわせ『パンドラの箱』DVDが11月21日に発売。原版はもちろんミュンヘン映画博物館の修復版。音楽は何と4種類から選択可能。映画研究者トーマス・エルセッサーとメアリ・アン・ドーンの音声解説付き。 『ルイーズ・ブルックス:ルルを探して』(DVD題。1998)に加え、リチャード・リーコックによる1971のブルックス・インタヴュー『ベルリンのルル』(未。48分)を収録。リーコックの撮り下ろしヴィデオ・インタヴュー。パープスト監督の子息ミヒャエルの撮り下ろしインタヴュー。

紀伊國屋書店から出たDVD『パンドラの箱』にも収録の特典『ルイーズ・ブルックス:ルルを探して』(キャプチャー画像)は興味深い。監督はヒュー・マンロー・ニーリー。映画人の生涯を辿る記録映画としてはかなり良質の部類に入る作品である。この作品は、 米イメージ・エンターテインメントで単体DVDが発売されているが廃盤。 ほかに仏カルロッタ盤『ルイーズ・ブルックス・デラックスDVD−BOX』の特典(ただしシャーリー・マクレインの音声解説は、別人のフランス語に吹き替えられている)や英セカンド・サイト・フィルムズ『パンドラの箱』特別盤、オーストラリアのショック・レコーズ盤『パンドラの箱』の特典になっている。

ヒュー・マンロー・ニーリーの製作:監督したハリウッド無声期の神話的女優の記録映画には『メアリ・ピックフォード:映画人生』(1997)、『クララ・バウ:イット・ガール発見』(1999)、『映画に捕らわれて:マリオン・デイヴィスの真実の物語』(2001)、がある。『メアリ・ピックフォード:映画人生』のDVDは、イメージ・エンターテインメントから出ている。ナレーターはウーピー・ゴールドバーグ。『クララ・バウ:イット・ガール発見』は、『あれ』(1927。監督クラレンス・G・バジャー)のキノ・オン・ヴィデオ盤DVDに収録。『映画に捕らわれて:マリオン・デイヴィスの真実の物語』のDVDはマイルストンから出ている。

雑誌『プレイボーイ』の創刊者として知られるヒュー・M・ヘフナーが製作総指揮、ムンロ・ニーリーとアンディ・ヒックス・セイラ・J・ベイカー共同制作、アンディ・ヒックス監督の『オリーヴ・トマス:世界一の美少女』(2003。新題『オリーヴ・トマス:みんなの恋人』)。ナレーターはロザンヌ・アークエット。タイムライン社製作同作のDVDはイメージ・エンターテインメントの『オリーヴ・トマス集』(レヴュー)に収録。このディスクにはアラン・クロスランド監督、フランシス・マリオン脚本の『フラッパー The Flapper』(未。1920)を収録。オリーヴ・トマス(1899−1920)は20歳の時、パリのリッツ・ホテルで塩化水銀を誤って飲み事故死した伝説の美少女女優。日本公開作に『トトン』(1919。監督フランク・ボーゼイジー)、『愛の囚人』(1919。監督ジョン・フランシス・ディロン)、『栄ある夫人』(1919。監督ジョージ・アーヴィング)、『脚光と影』(1920。監督ジョン・W・ノーブル)がある。

オリーヴ・トマスについてはケネス・アンガー著『ハリウッド・バビロン』(リブロポート、1989。絶版)も参照。2007年にマクファーランドからミシェール・ヴォーゲルMichell Vogelによる初の伝記『オリーヴ・トマス:無声映画美女の生と死』刊行予定。ヴォーゲルには『ジーン・ティアニー』(2005。マクファーランド)の著書がある。

  ブルックスとパープストの組んだもう1本の映画『淪落の女の日記』(1929)は、単体ではキノからDVDが出ているが、中間字幕は英語。仏カルロッタBOX収録の『淪落の女の日記』は中間字幕がドイツ語オリジナルで、フランス語のサブタイトルが付く。

ボローニャ市立チネテカ、シネマテーク・フランセーズ、ミラノのイタリア・チネテカ基金は1998年に『ミス・ヨーロッパ』(1930)の無声108分(23fsp)版を修復した。同年ボローニャ修復映画祭(Il Cinema Ritrovato)で上映。「第17回」で紹介した『日曜日の人々』(1929)と共にヌーヴェル・ヴァーグを先取りする、映画史上の過小評価された傑作『ミス・ヨーロッパ』無声版の修復は事件である。

ボローニャ市立チネテカからは1999年に『ルイーズ・ブルックス、欧州の女』と題する冊子(伊・仏・英語)が刊行されているが非売品(ボローニャ市立チネテカ刊行物)。アルベルト・ボスキ「『ミス・ヨーロッパ』における沈黙の音」など収録。1999年のロンドン映画祭、2004年のパリ・シネマ、2005年のラ・ロシェル映画祭のルイーズ・ブルックス特集でも同作が上映された。トゥルーズのシネマテークでは同作は今年の8月17日、18日に上映された。2006年の第25回ポルデノーネ無声映画祭(日本語記事:10月27日付けの日記参照)でも10月12日、『ミス・ヨーロッパ』の修復版が上映された。映画祭カタログはダウンロード可。ブルックスに関する映画史家ケヴィン・ブラウンロウの論考も読める。こちらから右のカタログのリンクをクリックし、番組一覧のPDFファイルを開き、33-36頁を参照のこと。

ロサンゼルス郡美術館(LACMA)は10月20日、21日に彼女の特集上映を行ったが、『ミス・ヨーロッパ』無声版(仏語中間字幕版)は21日に上映された。

ブルックスがヨーロッパで撮った3本目の映画、ルネ・クレールが脚本に協力している『ミス・ヨーロッパ』(1930)は当初、無声映画だった。この映画は仏=独の映画製作会社SOFAR(ラ・ソシエテ・デ・フィルム・アルティスティック)でパープストとルネ・クレールが撮るはずだったが、会社がクレールのアイデアを気に入らず、クレールは『巴里の屋根の下』の撮影に入った。クレールのアイデアで残されたのはラストシーンだけだという。フランス語音声を加え、トーキー化する際、ブルックスの台詞はフランス女優により吹き替えられたが、その吹き替えは評判がよくない。無声版ではブルックス扮するリュシエンヌが映画の試写室で殺され、スクリーンには歌う彼女が映っているというラストシーンに音響効果と音声が入れられたが残念ながら現存プリントにそのサウンドトラックはない。しかしイタリア人監督アウグスト・ジェニーナ(1892−1957)の演出は今観ても斬新で、かつてシネマテーク・フランセーズ館長アンリ・ラングロワが絶賛したこの作品はブルックスのネーム・ヴァリューとは別に、再評価されるべきだろう。撮影は『裁かるるジャンヌ』(1928)を撮ったばかりのルドルフ・マテと、『吸血鬼』(1932)、『リリオム』(1934)でもマテと共に撮影を担当したルイ・ネ。撮影期間は1929年8月29日から9月27日まで。ジョワンヴィルとエピネイ撮影所、およびジャルダン・ダクリマタシオン、ガール・ドルセー駅(現在のミュゼ・ドルセー駅)、ガール・ド・リヨン駅。『ミス・ヨーロッパ』のDVDは、仏カルロッタBOXにも収録されているが、米国のキノからも単体発売された(レヴュー)。キノ盤DVDの原版は88分のトーキー版(カルロッタ盤は93分)だが、前述のように無声版が修復されているので、まったく印象が異なるといわれるその版のDVD化が待望される。

日本公開された他のアウグスト・ジェニーナ監督作。ルジェロ・ルジェリ主演『感激は何処に』(1918)、マリア・ヤコビーニ主演『半生の紅涙』(1918)、マリア・ヤコビーニ主演『さらば青春』(1918)、イタリア・アルミランテ=マンツィーニ主演『女』(1918)、カリー・サンブチニ主演『火鉢』(1919)、リア・ブルナ主演『暗を行く影』(1919)、エディ・ダルクレア主演『月光の曲』(1920)、ピエール・マニエ主演『シラノ・ドウ・ベルジュラック』(1922)、カルメン・ボーニ主演『姫君は文士がお好き』(1928)、カルメン・ボーニ主演『ラテン街の屋根裏』(1929)、『リビア白騎隊』(1936)、遺作『フルフル』(1955)。

ジェニーナ監督作のDVDには、ほかに伊=仏合作『シラノ・ドウ・ベルジュラック』が米イメージ・エンターテインメント(あらすじの記述は間違い)、仏アルテでDVD化されている。ステンシル彩色が美しい。脚本はジェニーナの従兄弟にあたるマリオ・カメリーニ(1895−1981)。

ブルックス渡欧前の無声映画は、ほとんど正規のDVDになっていないが、現存作はパブリック・ドメインの16ミリ・フィルムなどのコピーからDVD化され販売されている。 着色版『チョビ髯大将』(1926)は米サンライズ・サイレンツからDVDが販売されていたが今は入手不可能。着色版『百貨店』(1926)は、サンライズ・サイレンツからDVDが出ている。『駄法螺大当り』(1926)はイメージ・エンターテインメントからDVDが出ている。同時収録はウェズリー・ラグルス監督の『失恋競争』(1925)。

ウィリアム・A・ウェルマン監督の『人生の乞食』(1928、主題歌)、ハワード・ホークス監督の『港々に女あり』(1928)は米グレイプヴァインからDVDが出ている。『人生の乞食』は最近、以前より良質の原版による新盤が出た。

残念ながら『ルイーズ・ブルックス:ルルを探して』に抜粋引用のない現存作品『港々に女あり』(1928)は監督ハワード・ホークスのキャリアの上でも、また、これを観たパープストがブルックスを『パンドラの箱』の主演に起用しようと考え、彼女をドイツに招いたという点でも興味深い作品である。だがあくまでもフォックス社の『栄光』(1926)の路線を踏襲した乱暴者の船乗りヴィクター・マクラグレンとロバート・アームストロングの男同士の友情もの映画であり、ブルックスは終盤に添え物的に出演しているにすぎない。 

ヴァン・ダイン原作の『カナリヤ殺人事件』(1929、着色版サンライズ・サイレンツ盤DVD)は、当初無声映画として撮影されたが、ブルックスの渡欧後、トーキーに改変された。ブルックスの声は『サンライズ』(1928)で「都会の女」を演じたマーガレット・リヴングストンが吹き替えた。ブルックスは殺される踊り子の役で、出番は冒頭のみ。

ブルックス再発見のきっかけを作ったシネマテーク・フランセーズの創設者アンリ・ラングロワは1914年11月13日、トルコのイズミールに生まれた。米キノより8月15日にジャック・リシャール監督の記録映画『アンリ・ラングロワ〜ファントム・オブ・シネマテーク〜』(特殊上映題。2005。レヴュー)のDVDが発売された。オリジナルは210分で、日本でも2005年の第27回「ぴあフィルム・フェスティバル」で上映されたが、米国公開版は128分。DVDも128分版を収録。この記録映画は、映画史の守護天使とでもいうべきラングロワの貴重なインタヴュー映像、ニュース映像をふんだんに用い、関係者のインタヴューも数多く用いられている。フランソワ・トリュフォーのいくつかのインタヴュー映像も貴重だ。関係者以外の主な証言者に、ジャン=シャルル・タケラ、ジャン・ルーシュ、ジャン・ドゥーシェ、クロード・シャブロル、歴史家ジャン・テュラールなど。DVD特典は、マイケル・ロンズデイル、サミュエル・フラー、マルセル・カルネ、アンリ・アルカンらの登場する、ジャック・リシャール製作・監督の短篇『ラングロワ記念碑』(未。1991。10分)、アラン・ドロンがナレーターを務め、写真で構成されるリシャールの短編『アンリ・ラングロワ映画博物館』(1997。3分)。

ラングロワと共にシネマテーク創設に尽力したメリー・メールソンは、映画美術装置家として名高いラザール・メールソン未亡人である。ラザール・メールソンは、1900年、ロシア生まれ(1897年、ポーランド、ワルシャワ生まれというデータもある)。ドイツで建築を学び、映画の照明技師として働いた後、1924年、パリに移住。アルバトロス映画社の美術助手となる。マルセル・レルビエ監督の『生けるパスカル』(1926)で助監督・美術のアルベルト・カバルカンティ(1924年、マルセル・レルビエ監督の『人でなしの女/イニューメン』でクロード・オータン=ララと共に美術を担当)の美術助手に就いた後、『グリビッシュ』、『カルメン』、フランシス・ド・クロワッセ(1877−1937)の戯曲に基づく『新紳士たち』(未。1928)、ルネ・クレール監督の『風の餌食』(未。1926)、『イタリア麦の帽子』(ビデオ題。1928)の美術を手がける。その後、クレール監督の『巴里の屋根の下』(1930)、『ル・ミリオン』(1931)、『自由を我等に』(1931)、『巴里祭』(1933)、ジャック・フェデール監督の『外人部隊』、『ミモザ館』、『女たちの都』の美術をも手がけている。『巴里の屋根の下』、『自由を我等に』、『ル・ミリオン』のDVDはいずれもクライテリオンから出ている。『巴里の屋根の下』のディスクには『眠るパリ』(ビデオ題。1925)も収録。

ルネ・クレールに関しては武田潔『明るい鏡 ルネ・クレールの逆説』(早稲田大学出版部、2006)、ピエール・ビヤール『ルネ・クレールの謎』(ワイズ出版、2000)を参照。

1936年、メールソンはアレグザンダー・コルダの撮影所と契約し、英国に移住。最後の美術担当作はキング・ヴィドア監督、ロバート・ドーナット、ロザリンド・ラッセル主演の英国映画『城砦』(1938)。メールソンについてはレオン・バルサック著『映画セットの歴史と技術』(晶文社、1983)や、スー・ハリス、サラ・ストリート、ティム・バーグフェルダー著『映画建築とトランスナショナルな想像力:1930年代ヨーロッパ映画のセット・デザイン Film Architecture and the Transnational Imagination: Set Design in 1930s European Cinema』(アムステルダム大学出版より近刊予定)を参照。

メールソンと共に代表作を作ったジャック・フェデールの初期の名作がDVD化された。イメージ・エンターテインメントが10月24日に発売した『ジャック・フェデール再発見』DVD−BOX(3枚組)である。収録作は『女郎蜘蛛』(1921)、『クランクビーユ』(特殊上映題。1922)、『雪崩』(1923)。『雪崩』は単品でも発売。

ジャック・フェデールは1885年7月21日、ベルギーのブラバント生まれ。本名ジャック・フレデリクス。25歳の時、パリに行き、1908年、舞台俳優としてデビュー。ジョルジュ・メリエス監督の『シンデレラ』(1912)、ヴィクトラン・ジャッセ監督の『プロテア』(1913)、ルイ・フイヤード監督の連続活劇『吸血ギャング団』(特殊上映題。1915)の第5話「死から逃れて L'evasion de la mort」(1915)、ガストン・ラヴァルと共同監督の短編『警察官パンソン氏』(未。1916)に出演。1912年から1915年まで助監督として働く。1916年、ジャック・フェデールの芸名でゴーモン映画社に入社、短編で監督としてデビュー。1915年から1917年にかけて主に喜劇短編の15作品を演出。監督デビューは、ガストン・ラヴェルと共同監督の『脚と手』(未。1915)。1995年にフィルム・センターで催された「ゴーモン映画の100年、フランス映画の100年」で、初期の日本未公開短編3本、『友達の忠告』(1916)、『女の浅知恵、賢い女』(1916)、『スペルの誤り』(1918)が上映された。1917年には第一次世界大戦でベルギー軍に従軍。前線にも出たがすぐに演劇慰問団に入る。同年にパリ生まれの女優フランソワーズ・ロゼー(1891−1974)と結婚。戦争が終わるとパリに戻り、映画界に復帰。ジャック・フェデールの芸名でゴーモン映画社と契約。仏=ベルギー合作の大作『女郎蜘蛛』(原題『アトランティド』。1920)で長編デビュー。これはピエール・ブノワ原作のSF冒険活劇。日本ではオリジナルの12巻を9巻に縮めて1926年に上映されたが、フィルム・センターの1991年の特集「発掘された映画たち—小宮登美次郎コレクション」で完全版が上映された。『アトランティド』は1932年にはG・W・パープスト監督がブリギッテ・ヘルム主演で再映画化している。1961年にはジュゼッペ・マジーニ、エドガー・G・ウルマー監督で再映画化(邦題『アトランタイド』)。

長編第2作にあたる仏=ベルギー合作映画『クランクビーユ』はアナトール・フランス原作のファンタジー。フランソワーズ・ロゼーも出演。撮影はアベル・ガンス監督の『戦争と平和』(1919)でマルク・ビュジャールと組んでいるレオンス=アンリ・ビュレルとモリス・フォルステル。「第7回」でも紹介したように、第24回ポルデノーネ無声映画祭オープニング・イヴニングに上映された。フェデールの長編第3作はジュール・ロマン原作・脚本のオーストリア映画『面影』(1924)。仏=スイス合作の『雪崩』(1925)はフェデールの長編第4作にあたる。脚本はフェデールとロゼー。撮影はレオンス=アンリ・ニュレルとポール・パルギュエル。フランスのフィルム・アルバトロス社で『グリビッシュ』(未。1926)、ルイス・ブニュエルも出演している『カルメン』(1926)を撮った後、仏=独合作の『テレーズ・ラカン』(1928)の後、MGM社と契約、1929年から1931年まで渡米し、ガルボ主演の『接吻』(1929)、米=独合作、ノラ・グレゴール主演の『オリンピア』(未。1930)、ガルボ主演の『アンナ・クリスティ』(1931)のドイツ語版、『あけぼの』(1931)、『印度の寵児』(1931)を演出。1934年にフランスに戻り、『外人部隊』(1934)、『女だけの都』(1935)、『ミモザ館』(1935)などで大成功を収めた。その後、英国でマルレーネ・ディートリヒ、ロバート・ドーナット主演の『鎧なき騎士』(1937)、ドイツで『旅する人々』(1938)、フランスでミシェール・モルガン主演の『北の道』(未。1940)、スイスで『ある女性が失踪した』(未。1942)を撮った。スイスのリーヴ=ド=プランガンスで1948年5月24日に亡くなった。ロゼーの自伝『人生航路−フランソワーズ・ロゼ自伝』には邦訳(早川書房、1978)がある。フェデールとロゼーの共著に『映画、わたしたちの仕事 Le cinema, notre metier』(Albert Skira,1944)があるが未邦訳。141頁の小冊子で「ある映画人の回想」「ある女優の体験」「現代俳優の仕事」「スイス映画」の4部構成。『雪崩』のDVDはスイス・シネマテーク、フランスのアルテからも出ている。

なお『外人部隊』、『女だけの都』、『鎧なき騎士』の国内盤DVDはIVCから出ている。