第19回 ダニエル・ユイレ追悼、セザンヌ没後100年






以下のセザンヌ没後100年の記事を書き終えた後、思わぬ訃報が入った。40年以上にわたりジャン=マリー・ストローブとの妥協なき協同的映画創作を続けてきた偉大な映画作家ダニエル・ユイレ(1936年5月1日、パリ生まれ)が10月9日に、ガンのため亡くなった。享年70。ロサンゼルス在住の映画作家・映画批評家アンドルー・レクターのブログに10月10日付で、ユイレの少女時代の写真が掲載されている。

アンドルー・レクターの映画トップ10(順不動)

『羊殺し』(未。1977監督チャールズ・バーネット)>
『契約殺人』(1958。監督アーヴィング・ラーナー)>
『プレイタイム』(1967。監督ジャック・タチ)>
『ホームワーク』(1990。監督アッバス・キアロスタミ)>
『タブウ』(1930。監督F・W・ムルナウ&ロバート・フラハティ)>
『メイド・イン・USA』(1966。監督ジャン=リュック・ゴダール)>
『Black and Tan』(未。1929。監督ダドリー・マーフィ。デューク・エリントン楽団出演の19分の短編)>
『牝犬』(1931。監督ジャン・ルノワール)>
『小麦の買占め』(1909。監督D・W・グリフィス)>
『Several Friends』(1969。監督チャールズ・バーネット)>
『Several Friends』についてのレクターの記事

ストローブ=ユイレの最後の映画となったのは、映画批評家でライ・トレ(イタリア国営放送第3チャンネル)番組編成者のエンリコ・ゲッツィ(1952年、ベルガモ県ロヴェーレ生まれ)の委嘱によりこの春に撮られた、ロッセリーニの『ヨーロッパ1951年』(1952)の12分の続編のシネトラクト『ヨーロッパ2005年10月27日 Europa 2005, 27 Octobre』。この日付は、警察に追われて変電所に隠れていた二人の少年、ブウナ・トラオレBouna Traore(15歳。マリ系)とジェッド・ベナZyed Benna(17歳。チュニジア系)が感電死した日を示している。これを機にフランス各地で暴動が発生した。

ブウナ・トラオレとジェッド・ベナの死に関する『ル・モンド』2005年12月8日付記事の日本語による要約紹介

ストローブ=ユイレは初めてDVで、クリシー=ス=ボワの事故現場で、他の二人の映画作家と共にこの映画を撮った。この映画は、ストローブ=ユイレの他のイタリア映画4本、『雲から抵抗へ』(特殊上映題。1978)、『あの彼らの出会い』(特殊上映題。2006)、『労働者たち、農民たち』(特殊上映題。2000)、『放蕩息子の帰還/辱められた人々』(特殊上映題。2002)と共に10月27日、ローマのヴィッラ・デイ・メディチで上映される。

『ヴァンダの部屋』(2000)のペドロ・コスタがストローブ=ユイレの『シチリア!』(特殊上映題。1998)のル・フレノワ芸術・視聴覚研究センターでの編集光景を撮った『あなたの微笑みはどこに隠れたの?』(2001。アテネ・フランセ文化センターで上映。関連記事)のTV放映版(『我らの時代の映画』の一編)と劇場公開版の両版を収録した冊子付きDVD(DVDのみの特典映像として六つの未使用テイクからなる『六つのバガテル』付き。英語字幕付き)がポルトガルのアシリオ&アルヴィムから出版されている。この映画からはストローブとユイレの頑固さとユーモア、彼らの絆の強さを感じ取ることができる。

編集作業の合間にざっくばらんに語るストローブ=ユイレを撮影した『六つのバガテル』には、蓮実重彦、アテネ・フランセ文化センター主任・松本正道、山形国際ドキュメンタリー映画祭ディレクター矢野和之の3氏の名前が献辞にクレジットされている。

『六つのバガテル』抜粋動画。ユイレが愛犬メルキオールを呼ぶ様子が記録されている。ここで語られるブニュエル自伝に出てくるニコラス・レイの逸話は本編でも語られている。

  11月15日にはMK2から『我らの時代の映画』全集なるDVD−BOX(6枚組)の発売も予定されている。すでに単体発売済みのタイトルに加え、ペドロ・コスタ演出のストローブ=ユイレ編も含まれる。これは上記ポルトガル盤DVDでも見られるが、日本で上映された劇場公開版とは使用テイクも編集も大きく異なる版。他の収録作は、侯孝賢編(1996。演出オリヴィエ・アサヤス。91分)、北野武編(1999。演出ジャン=ピエール・リモザン。68分)、エリック・ロメール編(1994。演出アンドレ・S・ラバルト。115分)、ジョン・キャサヴェティーズ編(1968。演出アンドレ・S・ラバルト。48分)、エイブル・フェラーラ編(2003。演出ラフィ・ピッツ。80分)、アキ・カウリスマキ編(2000。演出ギ・ジラール。55分)、アッバス・キアロスタミ編(1994。演出ジャン=ピエール・リモザン。52分)、ユーセフ・シャヒーン編(1992。演出ジャン=ルイ・コモリ。52分)、マノエル・ド・オリヴェイラ編(1992。演出パウロ・ローシャ。60分)、アラン・カヴァリエ編(1996。演出ジャン=ピエール・リモザン。55分)、今村昌平編(1995。演出パウロ・ローシャ。60分)、シャンタル・アッケルマン編(1997。演出シャンタル・アッケルマン。64分)、ジャン・ルーシュ編(1997。演出ジャン=アンドレ・フィエスキ。73分)、フィリップ・ガレル編(1998。演出フランソワーズ・エチュガレー。48分)、ノーマン・マクラレン編(1972。演出アンドレ・S・ラバルト。53分)、アンドレイ・アルセニエヴィッチ(タルコフスキー)編(2000。演出クリス・マルケル。55分)、ケン・ローチ編(1997。演出カリム・ドリディ。60分)。トータルで18作品、1225分。無字幕。「第8回」で紹介した『恐竜と赤ん坊』(1967)を含むTVシリーズ「我らの時代の映画作家」は1964年から1971年まで続き、その後、1990年に「我らの時代の映画」という新シリーズに引き継がれた。以上のうち日本では『HHH:侯孝賢』が劇場公開されたほか、特殊上映されたものもいくつかある。また、これ以外にDVD特典に用いられた作品もいくつかある。

ポール・セザンヌが生まれたのは1839年1月19日。亡くなったのは1906年10月22日である。今年はセザンヌ没後100年にあたる。「セザンヌ2006」というイベントもあった。

リュミエール兄弟のシネマトグラフが公開されたのが1895年12月28日で、彼らが映画制作をやめ、レオン・ゴーモンが映画制作を始めるのが1905年のことだから、セザンヌの晩年と映画の最初の10年はほぼ重なる。

この機会に、セザンヌをめぐるDVD商品を紹介しよう。

まず『プロヴァンスのセザンヌ』(2006)。この高品位TV番組は、ワシントン、エクサンプロヴァンス、パリで行われた展覧会「プロヴァンスのセザンヌ」に想を得て製作された。製作・演出はジャクソン・フロスト。ナレーターはジャクリーン・ビセット。DVDは米WETAから発売された。

『プロヴァンスのセザンヌ』DVDおよび書籍

10年前に英BBCと独RMアーツが共同製作した『セザンヌ:三色セザンヌ』(1996)の演出はジャニス・サザーランド。米イメージ・エンターテインメントからDVDが出ている。またドイツ盤DVDが独アルトハウスから出ている。さらにアルテからも、6月9日に放映された『ポール・セザンヌ』のDVDが出た。収録作はエリザベット・カプニスト演出の『画家ポール・セザンヌ』(26分)、ジャック・デシャン演出の『セザンヌの勝利』(52分)、アラン・ジョベール演出の『モチーフの荒々しさ』(30分)。音声は仏語、英語、独語。アルテからは、アラン・ジョベールの3作品を収録した『パレット集:セザンヌ革命』のDVDも発売。『セザンヌ:モチーフの荒々しさ』(1995。27分)に加え、『ヴァン・ホッホ:黄色の強烈な調子』(1995。30分)、『ゴーギャン:野生の調和』(2003。30分)を収録。

1989年以後、アルテで放映されているシリーズ『パレット集』に関するアラン・ジョベールのインタヴュー映像
『パレット集』のリスト
『パレット集』のVHSおよびDVDはエディシオン・モンパルナスから発売されている。

またイマージュ・ソン・エ・コンパニーから『ポール・セザンヌとの旅』というDVDも発売。ベネディクト・シール演出の記録映画(52分)と、80作品以上の絵画を記録したヴィデオ・ライブラリー(160分)を収録。

昨年、ベルナール・エイゼンシッツの主宰するフランスの映画季刊誌『シネマ』の付録DVDに収録され、ほぼ同時期に日本で紀伊國屋書店からDVDが出たストローブ=ユイレの『セザンヌ』(1989)という映画もある。本来はセザンヌ生誕150年にパリ・プチ・パレ美術館でのセザンヌ初期絵画展にあわせ、オルセ美術館のキュレーターに委嘱された映画だが、完成作の上映は拒否された。 

実際、『セザンヌ』は、「セザンヌ」という単一の主体に還元しがたい過剰な要素、たとえばフロベールに基づく、ジャン・ルノワールの『ボヴァリー夫人』(1933)の、必ずしも原作の描写に忠実ではないもののその雰囲気を伝える農事共進大会の場面の抜粋や、ヘルダリンの未完の戯曲に基づく、ストローブ=ユイレの『エンペドクレスの死』(特殊上映題。1987)の抜粋がそれにあたる。絵画観を語るセザンヌの発言を声により演じるのはダニエル・ユイレである。  『セザンヌ』の姉妹編とでもいうべき『ルーヴル美術館訪問』(DVD題。2004)にいたっては、セザンヌ自身の絵画は一切映し出されず、セザンヌが見たであろう絵画が映し出され、それに符合するセザンヌの言葉が編集され、対置されるのだが、その言葉はギャスケという人物が半ば捏造したものであり、セザンヌ自身が直接語っているものではない。もちろん、ギャスケのテクストは、ギャスケでもセザンヌでもないある女性が特異な調子で読み上げているが、『セザンヌ』のユイレ同様、彼女は記録映画のコメンタリーの朗読者同様、声のみで存在を暗示し、画面に現れることはない。

モリス・ドゥニは「忘れてはならないが、一枚の絵画は、軍馬や裸婦や何らかの逸話である以前に本質的に、一定の秩序のもとに組み合わされた色彩に覆われた一個の平らな表面である」(「新伝統主義の定義」、『芸術と批評』誌1890年8月30日号)と述べた。それそのものの表面としての絵画を観ること以上に、映像を通じて不在の何かを観ること、イメージだけを手がかりに、その不在の対象に向けて何らかの決定的な価値判断を下すことは難しい。

ストローブ=ユイレの『セザンヌ』は、それぞれの映像ないしは言述の収まるべき文化的文脈を参照しつつ、見るべき映画なのか、それともあくまでも純粋に今起きつつある出来事を直接体験するように、一切の先入観を退け、映画体験そのものの移ろいに没入すべきなのか。だが、そもそも今=ここの直接的体験と既知の想起を純粋に区別できるだろうか。そもそも「絵画」に時間体験が含まれるとすると、映画はその擬似鑑賞を「切断」するのだろうか。詩人や画家が自然から受けた直観を、理想的な形で言葉や絵にする時、個性的なフィルターが作用するのかもしれないが、映画は機械的に知覚の痕跡を刻印する。人間が計算的に制御できるのは、そのフレーミング、光学的感度、持続の切断、編集におけるショットの配置、音響効果くらいのものだろう。(もっとも、ポスト・プロダクションの創作の比重が大きい「画素構成的な映画」では必ずしもそうではない)。不在の個人を主題にした『セザンヌ』では、セザンヌの描いた画布(もちろん固有の筆触は識別不能)、セザンヌの知覚した自然の痕跡、自然の痕跡であるセザンヌ的映画断片(『ボヴァリー夫人』、『エンペドクレスの死』)を併置することで、映画表象の固有の限界と魅力をほのめかせていた。それは、瞬間的な直観を美化するかのようにも、それを中断させ、反省的構想力を促すかのようにも見える。

そして『ルーヴル美術館訪問』では、ついに演技者=表現者としての人間は画面から排除され、むしろ厳密には制御しがたい偶有的な陽光の反射が主役となる。もっとも、音声言語の次元では饒舌なまでに自然の正しい知覚をめぐる人間的考察が語られるので、朗読劇としての演劇的作為、人間的身ぶりの痕跡は認められる。その朗読の抑揚を厳密に演出したのがストローブ=ユイレだとしても、普通それを映画の演出とみなすだろうか。いずれにせよ、これらは、あらかじめ鑑賞態度を決めて鑑賞に臨めるようなタイプの映画ではない。

ドミニク・パイーニ「ストローブ、ヘルダリン、セザンヌ」(英語)

ストローブ=ユイレの『今日から明日へ』(1996)の舞台美術、プチブル夫婦の居間の壁に掛けられた絵にもセザンヌの『サント・ヴィクトワール山』の複製画が用いられている。こちらはモノクロ映画である。

『セザンヌ』は、とりわけフランス語なりドイツ語なりを解さない、あるいはヨーロッパ文芸の歴史に疎い者にとって、やはり疎遠に感じられるのも事実だろう。映画祭上映された際の『セザンヌ』の字幕はことに意味不明で、あまりに稚拙なケアレスミスも散見されたが、DVD化にあたりそれなりの改善が試みられてはいる。もっとも、高解像度の視聴覚体験の直接性、音声言語の「身ぶり」を重んずるストローブ=ユイレの映画は「吹替え」になじまないのはもちろん、干渉、注意の妨げとなる画面上の傷、ノイズとしての「字幕」になじまないのも事実ではある。とはいえ、紀伊國屋書店のストローブ=ユイレ・コレクションは、日本で独自に原版を製作した『アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記』(DVD題。1967)を除いてストローブ=ユイレ自らが原版を製作したものである。また全タイトルに関して、原語を解さない者に向けても、「映画」としての鑑賞に僅かながらでも耐えうるよう、字幕の改良が試みられているので、旧日本語字幕でご覧になった方々にもぜひ観ていただきたい。

紀伊國屋盤以外のストローブ=ユイレのDVDには、「第4回」で紹介済みだが、紀伊國屋盤マスターを流用したニューヨーカー・ヴィデオの『アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記』(レヴュー)がある。この盤の貴重な特典の西独のTV番組(約20分)のメイキング映像では、撮影現場でバッハに扮するまだ40歳になる前のレオンハルトに指示する精悍なストローブ、それをやや離れたところで優しく見守るユイレの若き日の姿を見ることができる。

『ルーヴル美術館訪問』の最後には、エリオ・ヴィットリーニの『メッシーナの女たち』に基づく、ストローブ=ユイレの『労働者たち、農民たち』の一部が引用される。これは自分達の映画が、エンペドクロスやヘルダリンやセザンヌのように生成する自然を感知しているのだという自負の遠まわしな主張ともとれる。クレジットはないが、流れるバッハのカンタータ『安らかに、喜びつつ、私は逝く BWV125』第4曲(テノール、バスの二重唱)はニコラウス・アルノンクールのテルデックへの録音(1982)。ポール・エスウッド(A)、クルト・エクヴィルツ(T)、トーマス・トマシュケ(Bs)、テルツ少年合唱団(合唱指揮ゲルハルト・シュミット=ガーデン)。アルノンクールはグスタフ・レオンハルトと共同のこのカンタータ全集録音の功績を讃えられ1982年のエラスムス賞を受賞している。

アルノンクールは『アンナ・マクダレー・バッハの年代記』では出演・演奏までしている。またウラは取れていないのだが、『階級関係』(DVD題。1983)で流れる『クリスマス・オラトリオ』の断片もアルノンクール指揮ウイーン・コンツェントゥス・ムジクス演奏のテルデックへの録音(1972)と思われるが未確認。なおアルノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス演奏の『クリスマス・オラトリオ』の二度目の録音(1981)となる映像作品は昨年、ドイツ・グラモフォンからDVD化されている。ペーター・シュライアー(T)、ローベルト・ホル(Bs)、テルツ少年合唱団。

アルノンクールは、昨年、京都賞受賞のため約30年ぶりに来日、また今年11月にウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを率いて公演のため再来日する。

キングレコードからDVD『アーノンクール指揮の秘密〜《こうもり》を振る』が8月23日に発売された。1999年ヴィーン芸術家週間のヨーハン・シュトラウスの歌劇『こうもり』のリハーサル風景を収録。舞台演出は2006年秋からザルツブルク音楽祭の芸術監督に就任したユルゲン・フリム。映像監督ノルベルト・バイルハルツ。1996年、チューリヒ歌劇場におけるアルノンクールとフリムのモーツァルト・プロジェクト第一弾の歌劇『フィガロの結婚』のDVD(2枚組)、また2004年のベートーヴェンの歌劇『フィデリオ』のDVDはTDK COREから出ている。

フィオルディリージをチェチーリア・バルトリが演じた、2000年のチューリヒ歌劇場の歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』、ドンナ・エルヴィラをバルトリが演じた、2001年の歌劇『ドン・ジョヴァンニ』のDVD(それぞれ2枚組)はアルトハウスから出ている(100013、100329)。アルノンクールは2007年もチューリヒ歌劇場で歌劇『魔笛』を指揮する予定。演出は、ザルツブルクでアルノンクールの『ドン・ジョヴァンニ』(2002)、『皇帝ティートの慈悲』(2003)を演出しているマルティン・クシェイ(1961年、オーストリア、ケルンテン州ヴォルフスベルク生まれ)。

9月7日にヴェネツィア映画祭コンペで上映されたストローブ=ユイレの『あの彼らの出会い』(イタリア=フランス合作。68分)は、チェーザレ・パヴェーゼの詩的対話劇『レウコとの対話』の最後の5編の対話を、ブーティのフランチェスコ・ディ・バルトロ劇場での舞台化に続き、映画化したもの。それぞれ神々や妖精や半神半人や人間たちが対話する『雲から抵抗へ』第一部の姉妹編とも言えるだろう。また形式、出演者、スタッフなどの共通性から、『労働者たち、農民たち』、『放蕩息子の帰還/辱められた人々』の系譜に位置づけることもできる。パリでの正式公開は9月27日。

『あの彼らの出会い』写真 www.zabriskiepoint.net/filmitalia.org/www.cineplayers.com

配給会社ピエール・グリズ・プロの『あの彼らの出会い』広報資料

なおル・フレノワ芸術・視聴覚研究センターでのストローブ=ユイレの昨年10月から11月にかけての実習講義は『あの彼らの出会い』の編集作業を学生に見せるというものだった。

『あの彼らの出会い』についての情報 独語/ポルトガル語

ヴェネツィア映画祭でのストローブの三つの声明をめぐる英語記事

ウェブ@エスクァイアの「今月の必見映画」にもストローブ=ユイレ関連記事を寄稿したので併せてお読みいただければ幸いである。近日掲載予定。