第17回 B級映画王エドガー・G・ウルマー








エドガー・G・ウルマーは1904年9月17日、チェコのオロモウツで生まれた。今年は生誕102年にあたる。2006年9月14日から17日まで、エドガー・G・ウルマーに関する初の学術会議「ウルマー祭」がオロモウツのパラツキー大学アート・センターで催される。主催はドイツ研究協会(DFG)、プラハ・ユダヤ博物館、プラハ・ゲーテ・インスティテュート。

参加者はウルマーの娘アリアーネ・ウルマー=サイプス(1937年、ニューヨーク生まれ)、ユダヤ映画国民センター(NCJF)のエグゼキューティヴ・ディレクター、シャロン・パッカー・リヴォ、記録映画『エドガー・G・ウルマー:オフスクリーンの男』(未。2004)の監督ミヒャエル・パルム(1965年、リンツ生まれ)、ウルマーの唯一のモノグラフ『影の男:映画作家エドガー・G・ウルマー』(パール・ジョルナイ出版 Paul Zsolnay Verlag,2003)の著者シュテファン・グリッセマン(1964年、インスブルック生まれ)ら。これを機にオロモウツで隔年のウルマー祭を開くという構想もあるという。

オーストリア映画博物館で2003年に催されたエドガー・G・ウルマー特集上映でのアリアーネ・ウルマー・サイプス。アリアーネ・ウルマーは、アリアーヌ・アーデン名義で、父が監督した『素肌のヴィーナス』(1958)、『未来からの脱出』(放映題。別題『宇宙のデッドライン』。1959)に出演している。

2004年9月18日、オーストリア映画博物館での『エドガー・G・ウルマー:オフスクリーンの男』プレミア上映でのミヒャエル・パルム。同作にはグリッセマンも出演。

シュテファン・グリッセマン著『影の男』 deuticke.at

グリッセマンによるフィリップ・ガレル『ありふれた恋人たち』(仮題。2005。2007年1月日本公開予定)評(英語)

ウルマーについての日本語文献には淀川長治・蓮実重彦編『シネクラブ時代』(フィルムアート社、1990)収録の、小松弘「エドガー・G・ウルマーが陰の映画史を徘徊する」がある。これはアテネ・フランセ文化センターでの講演を採録したもの。

エリック・ウルマンによるウルマー論(英語)  /  タグ・ギャラガーによるウルマー論(英語)

1920年、ウルマーはヴィーンのヨーゼフシュタット劇場のマックス・ラインハルトの下で働いた。1921年、ベルリンでムルナウ監督の下で初めて映画の仕事を始める。1924年以後、ハリウッドのユニヴァーサル社で映画美術主任となる。1928年、ベルリンに戻り、ローベルト・ジオドマクと『日曜日の人々』を監督。撮影はオイゲン・シュフタン。忘れられた詩人・作家・演劇人モーリッツ・ゼーラー(1896−1942)らによる『日曜日の人々』の製作背景については、エルヴェ・デュモン著『ローベルト・ジオドマク、フィルム・ノワールの巨匠』(ラージュ・ドム出版 Ed. l'Age d'Homme,1981)に詳しい。出資者はジオドマク兄弟のおじにあたるネロ映画社のハインリヒ・ネーベンツァル(1870−1938)。『パンドラの箱』(1929)や『M』(1931)の製作者シーモア・ネーベンツァル(1897−1961)の父でもある。当初、『サンライズ』の美術監督ロフス・グリーゼ(1891−1978)が監督するはずだったが、グリーゼの下で長年働いていたウルマーがローベルト・ジオドマクと共同監督することになった。『日曜日の人々』のDVDは英国のBFIとオランダ映画博物館とドイツのZYXから出ている。

1929年12月、ウルマーは米国カルフォニア州に移住する。1931年から33年にかけてMGM社で働く。1932年、ニュージャージー州フォート・リーのメトロポリタン撮影所で『愛の間奏曲』(未)を監督したが未公開に終わる。その2巻分がジョニー・ウォーカー監督、タブロイド紙『ニューヨーク・デイリー・ニューズ』の劇場コラムニストだったエド・サリヴァン(1902−74)主演の『ミスター・ブロードウェイ』(未。1933)の回想場面に転用される。

フォート・リーの映画撮影所の歴史

ウルマーは、マックス&アーサー・アレクザンダー兄弟のビーコン・ピクチャーズで、カナダ社会衛生委員会と共同製作の、性病の恐怖を啓蒙する『台無しにされた人生』(未。1933)を演出。同作はパブリック・ドメインのメーカー、アルファ・ヴィデオからDVDが出ている。ウルマーがユニヴァーサル社で監督した、ボリス・カーロフ、ベラ・ルゴシ共演の『黒猫』(1934)のDVDは、「第13回」で紹介した『ベラ・ルゴシ・コレクション』に収録。

1937年、ウルマーはニューヨークに移り、アルゼンチン映画界で働いていたジョン・オルトン(「第9回参照)とジョーゼフ・バーン監督のスペイン語映画『気ままな生活 La Vida Bohemia』(未)の演出を手伝い、ヴァジル・アヴラメンコ製作のウクライナ移民向け映画『ナタルカ・ポルタヴカ』(未)をM・J・ガンと共同監督する。さらに1938年までに、ニュージャージーやニューヨークで撮影された4本のイディッシュ語映画の演出に参加。これらはユダヤ映画の古典となっている。ウルマーが演出したイディッシュ語映画4作品はユダヤ映画国民センター(NCJF)からDVDが出ている。『緑の草原』(未。1937。共同監督ヤーコフ・ベン=アミ)、『歌う鍛冶屋』(未。1938。共同監督ベン=ツヴィ・バラトフ、オシップ・ディモフ)、『前方の光』(未。1939。共同監督ヘンリー・フェルト)、『アメリカの仲人』(未。1940)。NCJFは世界中のユダヤ関連映画・ビデオを包括的に収集する最大の非営利アーカイヴである。

  ウルマーのイディッシュ語映画DVD

このほか、ウルマーは、アヴラメンコ製作のウクライナ移民向け映画『さまよえるコザック』(未。1938)も監督している。1942年、ウルマーは低予算映画専門のPRCに雇われる。PRCは2本立て興行の本命映画の前に上映されるB級映画を専門に作っていた。PRCでのウルマーの初監督作は、リオン・フロムケス(1901−77)とシーモア・ネーベンツァル製作の『明日われらは生きる』(未。1942)。同作のDVDもアルファから出ている。フロムケスは1945年にPRCの社長になり、後年、サミュエル・フラー監督の2本のカルト映画、『ショック集団』(1963)と『裸のキッス』(1964)の製作も手がける。ウルマー監督、ジョン・キャラディン主演の『忘れられた罪の島』(未。別題『モンスーン』。1943)のDVDもアルファから出ている。またキノ・オン・ヴィデオからは、『エドガー・G・ウルマー:オフスクリーンの男』と『忘れられた罪の島』のDVDが10月17日に発売される。

ウィリアム・ナイ監督、オットー・クルーガー主演の戦争映画『コレヒドール島』(未。1943)ではウルマーはドリス・マロイと共に脚本を担当。同作のDVDもアルファから出ている。原作はジョージ・ウェリントン・パーディ。ジョーゼフ・H・ルイス監督、アンナ・メイ・ウォン主演のB級戦争映画『ビルマに爆弾投下』(未。1943)の原作・脚本でもある。『ビルマに爆弾投下』のDVDもアルファから出ている

PRC時代のウルマーの代表作に、約2万ドルの予算で撮られた『まわり道』(未。1945)がある。マーティン・ゴールドスミス原作・脚本の『まわり道』のDVDは、パブリック・ドメインのソフトが世界各国から出ているが、ここではイメージ・エンターテインメントから出ているDVDを挙げておく。『まわり道』のDVDはアルファからも出ているが、以下の比較レヴューを参照のこと。

『まわり道』イメージ・エンターテインメント盤DVDレヴュー dvdtalk.com/brightlightsfilm.com

『まわり道』DVD、アルファ盤、イメージ盤、サイレン(英国)盤比較

『まわり道』の主演男優トム・ニールは、スキャンダルで知られる。1914年1月28日、イリノイ州エヴァンストンに生まれた彼はノースウエスタン大学のボクシング・チームの一員だった。1935年にブロードウェイ・デビュー、1938年にMGM社の「ハーディ一家シリーズ」の1本『ハーディ一家と西に』(未。監督ジョージ・B・サイツ、主演ミッキー・ルーニー)で映画デビュー。1948年、『密林の捕虜』(未。1945。監督ハロルド・ヤング、主演オットー・クルーガー)の猿女役の女優ヴィッキー・レインと結婚するが、1950年に離婚。1951年、ハリウッドのプール・パーティでペイトンと知り合い、交際を始めるが、ペイトンの心は当時の恋人フランショー・トーン(リサ・バークスによるフランショー・トーンのサイト)とニールの間を揺れ動いていた。1951年9月13日の夜、ニールはペイトン宅の芝生でフランショー・トーンに暴力をふるい、トーンの頬骨と鼻の骨を折り、脳震盪を起こしたトーンは入院した。トーンの退院後の1951年9月28日、ペイトンとトーンは結婚したが、ペイトンは主演作『ゴリラの花嫁』(未。1951。監督カート・シオドマク)撮影中、共演者のトム・コンウェイと関係をもった。11月頃には、ペイトンはトーンを捨て、ニールのもとに走り、トーンは離婚を申請、1952年5月17日離婚成立。その後、ニールは、ペイトンと共にロンドンに行くが、そこで浮気した彼女と喧嘩し、一人でハリウッドに戻った。ニールの最後の映画出演作は、リッパート製作、ペイトンとの共演作『大物ジェシー・ジェイムズ襲撃』(未。1953。監督レジナルド・ル・ボーグ)。ペイトンはその後、3本の映画に出るが、最後の映画出演作はウルマー監督の『殺人ならおまかせを』(未。1955)。落ちぶれたペイトンは1962年にはサンセット大通りのバーでの売春により逮捕され、その後も何度か警察沙汰を起こし、1967年5月8日、サン・ディエゴの両親宅で38歳の若さで亡くなった。

一方、ハリウッドで職を失ったニールは財産を処分し、パーム・スプリングに転居、造園と景観設計で生計を立てるようになった。1957年、パトリシア・フェントンと再婚し、息子トマス。ジュニアをもうけたが、彼女は1958年にガンで亡くなった。1961年、ニールはゲイル・ベネットと3度目の結婚をしたが、1965年、妻ゲイル銃殺の容疑で裁判を受け、過失致死罪で禁固10年の刑に服した。6年後の1971年12月7日に釈放されたが、8か月後の1972年8月7日に心不全で亡くなった。息子のトム・ニール・ジュニアは『まわり道』のリメイク(未。1992。監督ウェイド・ウィリアムズ)に主演したが、こちらは父の主演作と対照的にほとんど知られていない。

ジョン・オダウドによるバーバラ・ペイトンについてのサイト

ジョン・オダウドによるペイトン経歴

ジョン・オダウドによるペイトン年譜

ジョン・オダウド著『明日に別れの接吻を:バーバラ・ペイトン物語』はBearManor Mediaから11月刊行予定。

バーバラ・ペイトン出演作の国内盤DVDには、イマジカから出ている『複製人間の恋』(DVD題。1953。監督テレンス・フィッシャー)がある。またパブリック・ドメインの『南部に轟く太鼓』(1951。監督ウィリアム・キャメロン・メンジーズ)のDVDは、コズミック出版とピーエスジーから出ている。アール・フェントン原作・脚本、リチャード・フライシャー監督、ロイド・ブリッジス主演のフィルム・ノワール『ハメられて』(未。1949)のDVDは、米国の303レコーディングズからも劣悪な画質のものが出ていたが廃盤。現在は、アルファ・ヴィデオ盤が出ている。アルファからは『南部に轟く太鼓』のDVDも出ているが画質はよくない。米国のVCIエンターテインメントからは、『大物ジェシー・ジェイムズ襲撃』が、南北戦争での南部同盟支持者の娘を扱った『反逆娘』(未。1946。監督ウィリアム・A・バーク、主演アン・サヴィジ)と2本立てで『伝説の無法者2本立て』第1巻DVDとして、また「第13回」で紹介済みだが、『ブロンドの虜』(ビデオ題。1953。監督レジナルド・ル・ボーグ)が『密告』(ビデオ題。1952。監督テレンス・フィッシャー)と2本立てで『ハマー・フィルム・ノワール』第1巻DVDとして出ている。

ちなみに『伝説の無法者2本立て』の第2巻は『誇りを汚すな』(原題『ジェシー・ジェイムズの帰還』。1950。監督アーサー・ヒルトン、主演ジョン・アイアランド、アン・ドヴォラク)+フランク・ジェイムズものの『発砲』(未。1950。ウィリアム・A・バーク、主演ドン・「レッド」・バリー、ロバート・ロウリー)。第3巻は『ドルトン・ギャング』(未。1949。監督フォード・ビービー、主演ドン・「レッド」・バリー、ロバート・ロウリー)+『私はビリー・ザ・キッドを撃った』(未。1950。監督ウィリアム・A・バーク、主演ドン・「レッド」・バリー、ロバート・ロウリー。トム・ニールも出演)。

『まわり道』の女優アン・サヴィジ(1921年2月19日、サウス・カロライナ州コロンビア生まれ)は、トム・ニールと5本の映画で共演している。『クロンダイク・ケイト』(未。1943。監督ウィリアム・キャッスル)、『二人乗り潜水艦』(未。1944。監督ルー・ランダース)、『不文律』(未。1944。監督ハーマン・ロトステン)、『まわり道』、『反逆娘』である。エディ・ムラー編『暗黒都市のご婦人たち:フィルム・ノワールの悪女たち』(ReganBooks,2001)には、『過去を逃れて』(DVD題。1947。監督ジャック・ターナー)、『仮面の報酬』(ビデオ題。1949。監督ドン・シーゲル)のジェイン・グリア、『湖中の女』(1946。監督・主演ロバート・モンゴメリー)、『罠』(1949。監督ロバート・ワイズ)のオードリー・トッター、『苦い報酬』(ビデオ題。1948。監督エイブラハム・ポロンスキー)、『その女を殺せ』(ビデオ題。1952。監督リチャード・フライシャー)、『現金(げんなま)に体を張れ』(1956。監督スタンリー・キューブリック)のメアリ・ウィンドソー、『ジョニー・オクロック』(未。1947。監督ロバート・ロッセン)や『つけ狙う不審者 The Prowler』(未。1951。監督ジョーゼフ・ロウシー)のイヴリン・キーズ、『悪魔の往く町』(WOWOWで9月16日および28日放映。1947。監督エドマンド・グールディング)、『死の接吻』(1947。監督ヘンリー・ハザウェイ)のコリーン・グレイとアン・サヴィジの談話を収録。

アン・サヴィジのブログ:アン・サヴィジはガイ・マディン監督の新作『わがウィニペグ My Winnipeg』でガイ・マディンの母を演じた。

アン・サヴィジに関するオンライン・コミュニティ

アン・サヴィジとロイ・フラムキース対話

ロイ・フラムキース監督のジョージ・A・ロメロに関する記録映画『ドキュメント・オブ・ザ・デッド』(1989)DVDの国内盤は「たのみこむ」限定販売

『まわり道』以外のPRCでのウルマーの代表作に、ジョン・キャラディン主演の『青ひげ』(DVD題。1944)、『奇妙な幻影』(未。1945)、トム・ニール主演の『クラブ・ハバナ』(未。1945)、『モンテ・クリストの妻』(未。1946)がある。いずれも撮影にオイゲン・シュフタンが参加している(ただし資料によってデータが異なるので詳細は不明)。

「第10回」で紹介したデイヴィッド・カラット(1970年生まれ)の主宰するオール・デイ・エンターテインメントから『エドガー・ウルマー・アーカイヴ』(3枚組。レヴュー)と題するDVDが出ている。収録作は『青ひげ』、『ジキル博士の娘』(未。1957)、『奇妙な幻影』、『ハーレム上空の月』(未。1939)、『奇妙な女』(未。1946)。特典盤にはTVパイロット版の『スイス・ファミリー・ロビンソン』、フィラデルフィアで撮影された教育映画『さようならバイ菌さん』(未。1940)ほか収録。

ただし『奇妙な幻影』の初回プレスは音声と画像のズレが生じている。このエラー盤は再プレス盤と交換できる。

このほか、『奇妙な女』+『ハーレム上空の月』、『青ひげ』(レヴュー)を収めた『B級の王者』と題した2枚組DVD、単体売りの『ジキル博士の娘』(レヴュー)、『奇妙な幻影』のDVDも出ている。デイヴィッド・カラットは2007年、Jホラーに関する著書『Jホラー:《リング》《呪怨》ほかの究極ガイド』をヴァーティカル・ブックスから出版予定。

『奇妙な幻影』DVD、オール・デイ盤とローン・グループ盤比較

パブリック・ドメインのソフトを出しているローン・グループからは『奇妙な幻影』、『無敵の男』(未。1956。監督ジャック・ポレクスフェン)+『驚異の透明人間』(DVD題。1959)のDVDが出ている。ポレクスフェン(1908−2003)はウルマーが監督した『惑星Xから来た男』(放映題。1951)、『ジキル博士の娘』の製作者兼脚本家でもある。『青ひげ』、『驚異の透明人間』は日立インターメディックスからDVDが出ていたが廃盤。『奇妙な女』と、ロバート・スティーヴンソン監督の『不名誉な淑女』(未。1947)のハント・ストロンバーグ・プロ製作作品2作を収録した『ヘディ・ラマー・ダブル・フィーチャー』と題したDVDがVCIヴィデオから出ている。

ウルマーは1946年、フリーになる。『奇妙な女』に続く監督作『カーネギー・ホール』(1947)のDVDはキノ・オン・ヴィデオから出ている。同作の撮影はオイゲン・シュフタンとウィリアム・J・ミラー。ウルマーがジュゼッペ・マリア・スコテーゼと共同監督したイタリア=米国合作映画『地中海の虎』(1949)のDVDはオール・デイ・エンターテインメントから出ていたが廃盤(レヴュー)。

エドワード・J&ハリー・リーのダンジガー・プロ製作、ウルマー監督『スリの聖ベニー』(未。1951)のDVDはVCIヴィデオとアルファから出ている。ダンジガー・プロは、フレッチャー・マークル監督、フランショー・トーン、ジーン・ウォレス主演のB級フィルム・ノワール『ジグゾー』(未。1949)、ヘロニモ・ミウラ、ウルマー共同監督、ポーレット・ゴダード、ジプシー・ローズ・リー主演の英国=スペイン=米国合作映画『バグダッドの赤子たち』(未。1952)のほか、英国映画『宇宙原水爆戦/人工衛星X号』(1956。監督ポール・ディクソン)などを製作している。『ジグソー』にはマルレーネ・ディートリヒ、ヘンリー・フォンダ、ジョン・ガーフィールド、バージェス・メレディス、エヴァレット・スローンがカメオ出演。撮影は『スリの聖ベニー』と同じドン・マルカメス。マルカメスはマックス・ノセック監督の有名なイディッシュ語映画『栄光への序曲』(未。1940)の撮影も手がけていた。

『栄光への序曲』ほかイディッシュ映画DVD(PAL盤)

ミッド・センチュリー・フィルムズ製作、ウルマー監督の『惑星Xから来た男』(放映題。1951)のDVDはMGMホーム・エンターテインメントから出ていたが廃盤(レヴュー)。

ボザール・フィルム社製作、ウルマー(オーヴ・H・シーヘステッド名義)、ガストン・ハキム共同監督のヌーディスト映画『素肌のヴィーナス』のDVDはアルファから出ている。またドリス・ウィッシュマン(1912−2002)監督の『あるヌーディストの日記』(未。1961)と『素肌のヴィーナス』のダブル・フィーチャーDVD、さらに同2作を含むウィッシュマン監督のDVD−BOX『The Bare Box』(4枚組)もイメージ・エンターテインメントから出ている。後者の他の収録作は『チェスティー・モーガンinデッドリー・ウェポン』(DVD題。1974)、『チェスティー・モーガンinダブル・エージェント73』(DVD題。1974)、伝記映画『ブレイズ』(1989)でおなじみのブレイズ・スター主演『ブレイズ・スター、自然に還る』(未。1962)他。 183センチの超巨乳で知られるチェスティー・モーガン主演の2作のDVDは国内では、ジェネオン・エンタテインメントから『チェスティー・モーガン DVD TWINPACK』と題して発売された。

ドリス・ウィッシュマンについてノクリストファー・J・ジャーミックの記事(英語)

ジェラルド・ペリーによるドリス・ウィッシュマン紹介記事(英語)

『驚異の透明人間』のDVDは前述のように、日立インターメディックスからDVDが出ていたが廃盤。アルファからもDVDが出ている

ウルマーが、『風雲のバビロン』(1954)、『大遠征軍』(1957)などのカルロ・ルードヴィコ・ブラガリアと共同監督したヴィクター・マチュア主演の史劇大作『ハンニバル』(1960)のDVDはVCIから出ている。2.35:1の収録。オリジナルはスーパーシネスコープ(イタリアにおけるシネマスコープ)方式。イタリアの01ディストリビューションからも7月7日にDVD(伊語音声)が出たが、こちらはイタリア向けの短縮版。