海外版DVDを見てみた 第37回 ヤン・トロエルを見てみた(上)2016年12月12日
ヤン・トロエルという映画作家を知ったのは恥ずかしながらごく最近、アメリカのクライテリオンからその主要監督作が続々デジタル・リマスターDVD化されているのに気づいてのことだ。クライテリオンで、しかも一作程度ならともかく、これだけ続くということは世界映画史的に重要な作家なのだろうか、それを知らなかったわけなのかと焦りもしたのであった。クライテリオンのホームページや、IMDb(インターネット・ムーヴィー・データベース)などでざっと見ると、少年のビルドゥングス・ロマン(『これが君の人生』)だったり、移民たちの物語(『移民者たち』、『新天地』)だったり、いずれにせよ叙事的な作品で、しかもそのどれもが三時間を超える長尺作品、かつ、その全てにおいて監督自身が脚本、撮影、編集も務めている。


海外版DVDを見てみた 第36回 イギリスのノワール再び2016年7月18日
かつてマイケル・パウエルの稿で触れた『自らの刑執行人』Mine own executionerはイギリスのノワールの代表作とされるが、この作品をようやく見ることができ(去年2015年3月にイギリスで発売されていたことをうかつにも気が付かずにいた)、またアメリカのKino VideoからBritish Noirなる五枚組のDVDがこれも去年2015年8月に発売され、中にこれも以前記したイギリス・ノワールの傑作『十月の男』が収められている他、今まで見ることが出来なかった幾つかの作品が(アメリカで)見られるようになった。


海外版DVDを見てみた 第35回 オーソン・ウェルズのTV2016年3月15日
今回は前回に引き続きオーソン・ウェルズについて。去年、アメリカとイギリスで、オーソン・ウェルズのTVシリーズ『オーソン・ウェルズと世界一周』Around the world with Orson WellesのBlu-rayが発売されたので、これを中心に、前回触れたフィルムセンターでの「未知のウェルズ」(ミュンヘン映画博物館収蔵資料によるウェルズ未完作品の紹介プログラム)の、TV作品を扱った第二回で見ることが出来た作品を絡めて、ウェルズのTV作品について書く。


海外版DVDを見てみた 第34回 オーソン・ウェルズの未公開作、未完成作2015年11月12日
今年(2015年)はオーソン・ウェルズの生誕百周年に当たり、10月から11月には東京国際映画祭協賛でフィルム・センターにおいてウェルズを巡るドキュメンタリー上映、未完作品の断片の上映つきの講演会なども開かれた。今年になってイギリスではMr. Bongoから、『市民ケーン』以前の映画『ジョンソンにはうんざり』と、完成した作品としては最後から3番目のTV作品『不滅の物語』、そして『フォルスタッフ』のレストア版の、それぞれBlu-ray、DVDが発売された。『フォルスタッフ』についてはIVCから日本版Blu-rayが出ることになっており、それには筆者がリーフレット解説を書いている。興味のある方はご一読。ここでは残りの2作品について書く。


海外版DVDを見てみた 第33回 マルグリット・デュラス、彼女はなぜ映画を撮ったのか(3)2015年6月29日
マルグリット・デュラスについて考える稿の第三回。今回は彼女にとって重要なテーマの一つである強制収容所について扱った『オーレリア・シュタイナー』二部作を中心に書く。表象媒体である映画は、表象不可能な出来事にいかに応対するのか。


海外版DVDを見てみた 第32回 マルグリット・デュラス:彼女はなぜ映画を撮らねばならなかったのか(2)2015年5月9日
今回は、デュラス映画の一つの極点をなす『インディア・ソング』三部作と、その持つ意義について書く。『インディア・ソング』三部作においてデュラスは、それまで文学的テクスト、映画の両方に萌芽的に現れていた「語り」の持つ可能性を十全に開花させるのだが、その「語り」において、文学テクストと映画は激しい葛藤の中に置かれ、互いが互いを相殺するという未聞の事態が生じる。文学テクスト、映画それぞれ単独では生じ得なかった事態。ここに文学者デュラスが映画を撮らねばならなかった理由があるのだが、それについては今少し先で語ろう。『インディア・ソング』三部作は、文学テクストと映画の関係が入り組んでおり、物語内容を紹介しつつ、その関係を素描することから始めることとする(なお、三部作のうち『ガンジスの女』は先述のように2014年にフランスでDVDが出た。『インディア・ソング』はフランス、日本でDVDが出ていたが共に廃盤、『ヴェネチア時代の彼女の名前』はフランスでVHSが出ていたが廃盤)。


海外版DVDを見てみた 第31回 マルグリット・デュラス:彼女はなぜ映画を撮らねばならなかったのか(1)2015年3月26日
筆者はこれまで二度にわたってマルグリット・デュラスの映画について語る機会を与えられた。2012年二月のアテネ・フランセでの特集上映「映画作家マルグリット・デュラス」での講演、2015年一月の映画監督七里圭主催による連続講座「映画以内、映画以後、映画辺境2」第七回での七里圭、小沼純一両氏とのトーク。共に口頭での発表で発せられた言葉はその場限り、聴衆の記憶の中に次第に薄れながらも漂って、いずれ起こるかもしれない化学変化を待てばよいだけのものではあるのだが、こちらとしてそれなりに考えもしたので、一度考えをまとめておこうと思ったものである。


海外版DVDを見てみた 第30回 ジャン・エプスタンの作品世界(2)2014年12月26日
前回に引き続き、ジャン・エプスタンの作品(フランスのポチョムキン・フィルムから発売されたDVDボックス所収作品を主に)について。エプスタンは当時のフランス最大の映画会社パテ社(1900年代から1910年代には全世界にカメラ機材、短編映画作品を供給していて世界最大の映画関連会社だった。第一次世界大戦でパテ社の映画が供給できなくなったことが、アメリカに自国での映画供給を促し、ハリウッドの隆盛を招く)、ロシア革命から亡命してきた白ロシア人設立になる映画製作会社アルバトロス社などでの資金的に恵まれた環境での映画製作を経て、自身の映画会社フィルム・ジャン・エプスタンを設立し、そこを拠点とした自主製作に移行した。メロドラマ『モープラ』、サスペンス=メロドラマ『6 1/2×11』を撮った後、傑作として知られる二本の前衛映画『三面鏡』と『アッシャー家の崩壊』を撮ることになる。


海外版DVDを見てみた 第29回 ジャン・エプスタンの作品世界(1)2014年10月31日
ジャン・エプスタンと言えば、前衛映画『アッシャー家の崩壊』の監督、フォトジェニーという用語で映画の特性について思考した理論家として知られているくらいで、その全体像についてはほとんど理解されてこなかったと言えるだろう。実際、作品としては『アッシャー家』が特殊上映で見ることができたのと、『三面鏡』がアメリカで発売された実験映画を収めたDVDシリーズに入っているので見られる程度、その実作を見る機会は絶えてなかった。まして彼の著作は70年代半ばに二冊本で出版されて以来絶版で、有名なフォトジェニー理論については、映画理論入門書などに採録された論文や引用されている断片によってしか触れようがなかったのである。


海外版DVDを見てみた 第28回 マルセル・レルビエのサイレント映画2014年6月10日
前回前々回に引き続き、フランス戦前期の映画について。今回はマルセル・レルビエのサイレント映画(と言ってもDVDで見ることが出来た四作品)。レルビエはトーキー以後も映画を撮っているが、ジャンル映画(ガストン・ルルーの推理小説の映画化が有名)が多く、レルビエ本人も自分の最良の作品はサイレント期にあると思っていたようである。前回のアベル・ガンスの作品も長大だったが、今回もまた長い。


海外版DVDを見てみた 第27回 アベル・ガンスの『戦争と平和』、『鉄路の白薔薇』2014年4月10日
前回に引き続き、フランスものを取り上げる。アベル・ガンスと言えば何といっても『ナポレオン』が有名で、81年にフランシス・フォード・コッポラが修復したヴァージョンを、その後数年してから深夜フジテレビで放映したのを見た記憶があるが、それ以外の作品を不勉強でほとんど見たことがなかった。2008年に、実験的な映画を中心にDVDの製作販売しているアメリカのフリッカー・アレイからガンスの代表作二作品のレストア版が出たのを、直後に買ったはいいが、それぞれ相当長いのでそのうち、と思っている間に五、六年も経ってしまった。前回からフランスに流れが傾いているので、この機会を利用して見てみようと思う。ガンス作品は、特に戦前の代表作については公開もされ、日本における評価も高いようである。当時どう受け止められていたのかというのも興味深い主題ではあるが、ここではそうしたものを渉猟、また参照しようとしていない。あくまで筆者が、現在の眼で見た作品の感想であり、評であることをお断りしておく。


海外版DVDを見てみた 第26回 モーリス・トゥルヌールの犯罪映画2014年2月17日
先日(2014年2月1日)、アンスティチュ・フランセ東京でジャン・グレミヨンの『マルドーヌ』(28)をさしたる予備知識もなく見て驚いた。そういう作品があることも(後でドゥルーズの『シネマ』に一作品としては結構な分量の記述があることを確認した)、それがいわゆるフランス印象派の傑作であることも知らずにいた。迂闊であった。しかしこの作品はこれまでもほとんど上映の機会がなかったというのだからやむを得ない。とは言え、三十年以上映画を見てきて、自分の知らない傑作がまだどれだけあるのかと空恐ろしい気がする。


海外版DVDを見てみた 第25回 ウィリアム・グリーヴスの『テイク・ワン』2013年12月20日
今回はウィリアム・グリーヴスの『テイク・ワン』(とその続編『テイク・ツー 1/2』)を取り上げる。この作品は1968年に撮られながら71年まで公開されず、それ以後も特殊上映でしか上映されないままであったが、それを見た人たちの間ではカルト的な存在になっていた。サンダンス映画祭でその上映を見た俳優スティーヴ・ブシェミが関心を抱き、友人のスティーヴン・ソダーバーグと共に、『テイク・ワン』の配給と続編への出資をすることになって『テイク・ツー』(2003)ができたという経緯になる。


海外版DVDを見てみた 第24回 エドガー・G・ウルマー2013年10月29日
筆者は先日(2013年10月12日)、シネマヴェーラ渋谷でのウルマー特集上映の初日、黒沢清監督とトークを行ったのだが、その際ウルマーの作品をだいぶ見直した(と言っても現在見ることのできる作品の全てには達しなかったが)。ウルマーはアメリカ版500円DVDのアルファ・ヴィデオなどで元々かなりの数の作品が見られる状態ではあったのだが、ここ数年ワーナー・アーカイヴスなどでもいくつかDVD化され、かつ、ユーチューブ、インターネット・アーカイヴなどでも数多くの作品が見られるようになってきている。今回は、それらによって見直したウルマーについて、トークの場で話した事、話しそびれたことを含め書くこととする。


海外版DVDを見てみた 第23回 ヒューゴ・フレゴネーズのアメリカ時代2013年9月15日
ここ数年で、コロンビア・チョイス・セレクション、ワーナー・アーカイヴズ等から、DVD-Rの形でバッド・ベティカーの犯罪映画が続々発売されている。ベティカーの処女作『ミステリアスな一夜』から、傑作と言ってよい第二作『消えた陪審員』、夢魔的なスパイもの『霧の中の逃走』、これも傑作『殺し屋は放たれた』、劇映画としては最後から二番目となる『暗黒街の帝王 レッグス・ダイアモンド』。既発の『閉ざされた扉』を含めれば、ベティカーの犯罪映画の大半が見られる日が来たわけである(そのすべてがノワールと言えるわけではないが、多くがそうである)。


海外版DVDを見てみた 第22回 バッド・ベティカーのフィルム・ノワール2013年7月4日
ヒューゴ・フレゴネーズはアルゼンチン出身の映画監督で、監督になったのはアルゼンチンだが、その後ハリウッド、イタリア、イギリス、ドイツ、そして再びアルゼンチンと、何か国もの映画界を渡り歩いている。とはいえ残した映画の本数は二十数本に過ぎない。世界の各地に足跡を残してはいるものの、例えばボリス・カウフマンやアルベルト・カヴァルカンティのように、その土地その土地の映画界に偉大な業績を残しているわけでもない。筆者は彼の全作品を見ているわけでもないし、全体像はまだ把握していないが、職業監督ということで大方間違いないものと思う。今回は、彼のキャリアの中の多くの部分を占める、アメリカ時代を中心に取り上げる。


海外版DVDを見てみた 第21回 ジョーン・クロフォードの50年代2013年6月5日
筆者がDVD資料を駆使してアメリカ映画について書くようになった2000年代半ばから比べても、映画資料をめぐる状況は大きく様変わりした。当時ではここでは書けないような方法でしか入手できなかったような作品も、現在ではテレシネしたものをDVD-Rに焼き付けただけ、という簡便な形ではあるが、正規版として販売されるようになったり(ワーナー・アーカイヴ)、アメリカの古典を中心に放映するケーブルTV会社ターナー・クラシック・ムーヴィーズ(TCM)が、自社ブランドでDVDを売り出したり、元よりクライテリオンは相変わらず資料の充実した作品群を送り出しているし、前衛映画(アベル・ガンスやマルセル・レルビエなど)に特化したフリッカー・アレイ、筆者として一番関心のある時代やジャンルの珍しい作品に強いオリーヴ・フィルム(最近ではアンソニー・マン『夜のよそ者』Stranger in the nightや、脚本家フィリップ・ヨーダンの傑作の一つ、ヒューゴ・フレゴネーズ監督『吹き荒ぶ風』Blowing windを出してくれた)など強い独自色を放つレーベルも現れてきている。


海外版DVDを見てみた 第20回 ピーター・ワトキンスを見てみた2013年4月10日
今回はイギリス出身の特異な映像作家ピーター・ワトキンスを取り上げる。前回ドナルド・キャメルを取り上げた流れであるが、ワトキンスはあまりにも多種多様な問題を孕んだ作家であり、その全貌は筆者などには到底測りがたいものがある。ワトキンスにはメディア批判の著書もあり、彼自身による作品解説、論文を集めたホームページもあり、その作品についての研究書も多々あるが、筆者はそのごく一部を参照したに過ぎない。ここではあくまで筆者がふれ得た作品(全部ではない)についての、筆者なりの見解を提示するにとどまっている、とお断りしておく。


海外版DVDを見てみた 第19回 ドナルド・キャメルを見てみた2013年2月22日
今回は、イギリスのネオ・ノワールの傑作とされる『パフォーマンス』の共同監督の一人、ドナルド・キャメルの犯罪映画を取り上げる。といっても、キャメルには長編映画として生涯四本しか作品がなく、そのうちの三本が犯罪映画、もう一本はSFホラーである。『パフォーマンス』はニコラス・ローグとの共同監督という事になっているが、ローグについては今回言及しない(ローグの『赤い影』をノワールとする場合もあるようだが、これはやはりスリラー、ないしオカルト的ホラーと言うべきだと思う)。キャメルといえば『パフォーマンス』が突出して有名で、それ以外に犯罪映画を撮っていたことはあまり知られていないように思う。というか、筆者が知らなかっただけなのかもしれないが、調べてみたら犯罪映画二本とも日本でビデオにはなっていたようで、筆者は今回海外版DVDで初めて見たわけなのだが。よって今回、海外版DVDを見てみた、という枠組みにはそぐわないかもしれないが、ドナルド・キャメルで書いてみる。


海外版DVDを見てみた 第18回 ベイジル・ディアデンを見てみた 2012年12月19日
今回は、前回に引き続き、イーリング・スタジオ出身の映画作家ベイジル・ディアデンの犯罪映画を取り上げる。ディアデンはイーリングのスタジオ・カラーを代表する映画監督であり、イーリングでの作品数は誰よりも多い。かつ、キャリアも長く、IMDbの監督作品数で単純に比べても、ロバート・ヘイマーの14本に対し、ディアデンは44本と三倍近い数の映画を撮っている。しかしイギリス映画の一時代を築いたイーリングを代表する監督だけに、フリー・シネマなどの新しい流れが台頭する中で、埋没し、忘れられていった。とはいえディアデンは、イーリング・スタジオのカラーを決定するような作品を撮りつつ、社会的な関心を映画の中に持ち込んだ点で、新しい映画の波を準備もしたのであり、彼は、40~50年代と60年代の橋渡しをした映画作家なのである。


海外版DVDを見てみた 第17回 ロバート・ヘイマーを見てみた 2012年11月14日
前回前々回とイギリスのネオ・ノワールを取り上げ、引き続きその路線で行くつもりだったが、(2012年)9月21日にアテネ・フランセで、ここでも以前取り上げたアルベルト・カヴァルカンティの『私は逃亡者』を上映してトークをする機会があり、その際イーリングの諸作家をざっと調べ直してみて、ロバート・ヘイマーと、ベイジル・ディアデンはちゃんと取り上げるべきだとの感を強くした。ので、今回と次回は、時代が戻るが、この二人の作歴について書くこととする。


海外版DVDを見てみた 第16回 『長く熱い週末』を見てみた 2012年9月18日
今回はジョン・マッケンジーの『長く熱い週末』Long good Friday(80、日本未公開、これはヴィデオ題)を取り上げる。イギリスのネオ・ノワールの代表作としてどんなノワール・ガイドブックにも載っている作品である。前回取り上げた『ゲット・カーター』もギャングの物語であったが、これもギャングが主人公、しかも『ゲット・カーター』がむなしい復讐の物語でもあって、これをノワールと称するに違和感を感じさせない理由ともなっていたが、一方『長く熱い週末』は、そういう話でもない。ただ、観終わってみると、主人公の不安というか、実存が切り崩されてゆくような成り行きが、なるほどノワール的かもしれない、と思わされる。具体的に見ていこう。


海外版DVDを見てみた 第15回 『ゲット・カーター』を見てみた 2012年7月31日
今回からしばらくイギリスのネオ・ノワールを取り上げる。これまで扱ってきた、第二次世界大戦直後のノワール以降の、五十年代、六十年代の犯罪映画に関しては(代表的な例としてサイ・エンドフィールドの57年作品『地獄特急』や、ジョゼフ・ロージーの60年作品『コンクリート・ジャングル』)については、筆者は別のところでそれらについて詳しく論じている(今年中に刊行予定の新著)のでそちらを参照してもらいたい。大雑把にまとめれば、第二次世界大戦以後の二十年間ほどの間にイギリスは世界の覇者の地位をアメリカに奪われ、経済的にも低迷して、イギリス社会を担ってきたブルジョアは自信を喪失し、社会全体に閉塞感が満ちてゆく。しかしながら一方で新しい潮流も生まれてきており、その一つとして、映画も担い手が中産階級から労働者階級に移行し、上記したエンドフィールドやロージーの犯罪映画も、労働者階級を主人公とする点で、そうした変化を反映している。六十年代のニュー・ウェイヴの運動では、描かれる対象だけでなく、担い手もまた労働者階級となる(以前に取り上げたテレンス・デイヴィスやビル・ダグラスなどもその中に入れていいだろう。また彼らは地方出身でもあり、その点も新しさの一つ)。


海外版DVDを見てみた 第14回 ジョニー・スタッカートを見てみた 2012年6月18日
ここしばらくイギリスのフィルム・ノワールを取り上げてきたが、今回は中休みで、アメリカのインディペンデント映画作家として名高い、ジョン・カサヴェテスによるTVシリーズ、「ジョニー・スタッカート」を取り上げる。『アメリカの影』を撮ったばかりのカサヴェテスが、そのために負った借金返済と生活費目当てで引き受けた雇われ仕事、と一般的には見なされ、カサヴェテス自身がそのようなイメージを積極的に流布させてきた。またこのシリーズが打ち切りになるに当たっては、スポンサーが、或るエピソードの内容に難色を示し、放映を止めさせるという事件が生じ、芸術的自由を拘束されるのに嫌気がさしたカサヴェテスがスポンサーを公然批判したという経緯もあった。


海外版DVDを見てみた 第13回 マイケル・パウエルの『スモール・バック・ルーム』を見てみた 2012年5月10日
今回はマイケル・パウエルのノワール作品とされる『スモール・バック・ルーム』Small back room(直訳すると「小さな裏部屋」と、しまらない題になってしまうのでカタカナで表記)を中心に、パウエルのスリラー作品を取り上げる。パウエルは脚本家エメリック・プレスバーガーとの協力で、『赤い靴』や『ホフマン物語』など豪華絢爛なミュージカルや、『天国への階段』などの人間ドラマの大作の数々を生んだ、日本でも最も著名なイギリス人映画監督と言っていいかと思うが、その作品数は相当数に上り(IMDbでは短編なども合わせて60本としている)、全く日本で公開されなかった作品(特に低予算)も多い。その中にはスリラーも多々あり、その中のいくつかに関してはイギリスやアメリカでDVDも出ているので、今回取り上げるのはそうした形で見ることができた作品である。


海外版DVDを見てみた 第12回 ジョージ・キング『スライ・コーナーの店』、『禁断の恋』を見てみた 2012年4月10日
今回取り上げるのはやはり47年に撮られたイギリス作品『スライ・コーナーの店』The shop at Sly Cornerと、その翌年に撮られた『禁断の恋』Forbidden。といってもこれらはフィルム・ノワールではない。犯罪ドラマ=スリラー=サスペンスであることは確かだが、世界観から言ってノワールとはやはり言えないように思う。まあ、この頃に撮られた犯罪映画がすべてノワールだということはあり得ない話なので、ともあれイギリスのジャンル映画の一部門である犯罪ものを概観する一環として、今回の作品もあると考えていただく


海外版DVDを見てみた 第11回 ジョン・ボールティングの『ブライトン・ロック』を見てみた 2012年3月6日
今回取り上げるのはジョン・ボールティング監督の『ブライトン・ロック』。これも前々回の『私は逃亡者』前回の『十月の男』と同じ、47年度の作品である。周知の通り、本作は原作がイギリスの文豪グレアム・グリーンの小説。グリーンは、エンターティンメント系の作品と、純文学系の作品を並行的に発表した作家であるが、エンターティンメント系の作品にも西欧文明に対する痛烈な批判が込められており(彼は一時共産主義者だったが、後に共産主義に幻滅している)、必ずしも一つの作品が完全にエンターティンメント系だとか、純文学系だ、とは言い切れない。


海外版DVDを見てみた 第10回 『ロイ・ベイカー『十月の男』を見てみた』 2012年1月31日
アメリカ映画におけるフィルム・ノワールのメルクマールとなる年は、フリッツ・ラング『飾窓の女』や、ビリー・ワイルダー『深夜の告白』などが発表された1944年とされるが、イギリスにおけるそれは1947年ということになるだろう。前回取り上げたカヴァルカンティ『私は逃亡者』(また前回言及したキャロル・リードの『邪魔者を消せ』)も1947年である。


海外版DVDを見てみた 第9回 『カヴァルカンティの『私は逃亡者』を見てみた』 2011年12月30日
今回からしばらくはイギリスのフィルム・ノワールを取り上げてみる。フィルム・ノワールは必ずしもアメリカ特有のジャンルというわけではなく、ある程度映画産業が発展して、犯罪映画が一つのジャンルとして確立された国ならばどこでも戦後の暗い世相を反映した犯罪映画の一変種としてフィルム・ノワールは出現しうるのであって、イギリスも例外ではなかった。同じ英語圏でもあり、とりわけ赤狩りの時代には、アメリカを追われた映画人がイギリスでノワールを撮っていたりもして、イギリスのノワールの製作本数はアメリカに次いで多い。またその中には傑作も多々含まれていて、そうした作品の多くはイギリス本国やアメリカにおいてDVD化されているものの、日本ではその存在すらあまり知られているようではない。


海外版DVDを見てみた 第8回『テレンス・デイヴィスを見てみた』 2011年12月7日
前回のビル・ダグラスに続きイギリスの映画作家を取り上げる。ダグラス同様自伝的な作品からキャリアを開始している作家で、ダグラス同様地方の下層階級の生まれ(ダグラスは34年スコットランド、デイヴィスは45年イングランド、リヴァプール)であり、自伝的トリロジーを、しかもBFIの助力で製作することからキャリアを開始している点でもよく似ている(ただ二人が知り合っていたのかどうかは不明)。


海外版DVDを見てみた 第7回『ビル・ダグラスを見てみた』 2011年11月2日
八月中に仕事が重なり、九月に疲労脱力してしまったせいで、九月分の更新ができずじまいになってしまった。さらに、十月取りあげようと思っていた作家の原稿の準備が追いつかず、急遽差し替えねばならなくなり(これについては以後改めて取りあげることもあるかと思うが)、更新が遅れてしまった。そんな人がいるのかどうか分からないが、もし更新を待っていてくれた方があるのならばお詫び申し上げたい。


海外版DVDを見てみた 第6回『ラウール・レヴィを見てみた』 2011年8月23日
ラウール・レヴィの名を後から思えば確かに目にしていた筈ながら、まったく記憶には残っていなかったのだが、山田宏一氏の『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』で、『二人の殺し屋』(65)と『ザ・スパイ』(66)の二本の映画の監督であり、しかも「ともに知られざる傑作である!」とあるのを読み(その時は忘れていたが、『友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』の第二十三章の前半部がレヴィの記述に充てられていたことにその後気づく)、これは是非見たいものだと思っていたのであった。で、いざ探してみたら、確かにアメリカでDVDが出ているのである。これは見ねばなるまい。ということで見てみた。


海外版DVDを見てみた 第5回『メイズルズ兄弟を見てみた』 2011年7月27日
アルバートとデイヴィッドのメイズルズ兄弟はアメリカのダイレクト・シネマの代表的映画作家。兄がカメラを、弟が録音を担当し、二人で撮影するスタイルで映画製作をしてきたが、デイヴィッドが87年に死去してからは、旧作のフッテージを編集したもの以外、二人での監督クレジット作はない。アルバートは現在もカメラマンとして活躍しているようだ。二人による映画は、有名人に密着して、その人となりを捉える、というものが多いが、それも、二人だけという身軽な撮影体制と、二人の温厚な人柄(といっても写真で見る限り、ないし、映画に映り込んでいる彼らの様子から判断してのことに過ぎないが)があって可能になっているものだろう。彼らの作品は十数本あるのだが、ここでは代表作と言える数本の作品を見てみた。


海外版DVDを見てみた 第4回『シャーリー・クラークを見てみた』 2011年6月29日
今回取り上げるシャーリー・クラークは、前回取りあげたモーリス・エンゲル=ルース・オーキンとは様々な意味で対照的な作家だ。エンゲル=クラークがアメリカのインディペンデント最初期の作家でありながら、その後不幸にも忘れ去られ、しかし今やDVDという形でその全作品が観られるようになったのに対し(作品数自体少ないし)、クラークはジョナス・メカスと並ぶインディペンデントの最も有名な作家であり、しかしその作品自体はと言えば、本国アメリカですら、かつてソフト化された作品も最早手に入らず、実際に観ることができないのが現状である(メカスやクラークが設立した、インディペンデント映画の配給会社も倒産しているようなので、上映も出来るのか出来ないのか)。


海外版DVDを見てみた 第3回『モーリス・エンゲル=ルース・オーキンを見てみた』2011年5月24日
お世辞にも可愛らしいとはいえない子供である。隙っ歯に、そばかす、腰のピストル(もちろん玩具)がだらしなくぶらさがり、幼い舌足らずなものの言い方も微妙に人をいらだたせる。それが一緒に遊べとくっついてくるのだから、兄としては厄介払いしたくなるのも分からなくはない。しかも母親が弟の面倒をみろと命じたのをたてに、「お兄ちゃんは僕の世話をすることになってるんだよ」と生意気を言ってくるのだからなおさらだ。かくして兄は、仲間と語らって弟を騙す一計を案じる。本物の銃を弟に撃たせ、自分が死んだように見せかけるのだ。お前は死刑だ、警官に気をつけろ、と言われ青くなった弟は、泣きながら逃げ出す。ざまあみろと大笑いする兄だが、そのうち不安になり始める。家に逃げ帰った筈の弟がおらず、母親が置いていったお金(母親は今晩一晩留守にせざるを得ない。ちなみに一家は母子家庭)がなくなっているからだ。


海外版DVDを見てみた 第2回『ライオネル・ロゴージンを見てみた』2011年4月22日
ライオネル・ロゴージンの長編三本が収められたDVDボックスがフランスで2010年の四月に発売されている。『バワリー25時』On the Bowery(57)、『帰れ、アフリカ』Come back, Africa(59)、『良き時代、すばらしき時代』Good times, wonderful times(66)。フラハティにつながるドキュメンタリー作家であり、また五十年代から六十年代に勃興したアメリカ・インディペンデント映画の重要人物であったロゴージンだが、その作品自体は長らく見られないままであった。


海外版DVDを見てみた 第1回『マルセル・オフュルスを見てみた』2011年3月21日
今月からこのサイトでコラムを持たせて頂けることになった。海外の映画、とりわけ海外版DVDのレビューが中心となると思うが、それに限らないかもしれない。今回は2010年10月にアメリカでマルセル・オフュルスの代表作の一つ『ホテル・テルミニュス 戦犯クラウス・バルビーの生涯』Hotel Terminus : The life and times of KLAUS BARBIE(88)のDVDが出たので、それを期に、既にフランス、アメリカ、イギリスでDVD化されているオフュルスのもう一つの代表作『悲しみと哀れみ』Le Chagrin et la pitié(69)と合わせてマルセル・オフュルスを取り上げる。