『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2015年8月28日
第74回  「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」物語 その4
全然知らなかったのだが「ニューポートのマイルス・デイビス1955-1975」“Miles Davis at Newport:1955-1975”(SONY)というありがたいアルバムが絶賛発売中。ひょっとしたら前回の締め切り時点では出回っていなかったかも、というくらいの新作アルバムである。これは同レーベルから連続リリース中のマイルス「ブートレグ」、つまり海賊盤シリーズ第4弾で、タイトルから分かるように「ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル」にマイルスのグループが出演した際のライヴ音源を幾つか収録したもの。別に二十年間出っぱなしだったのではない。この間に何回か出たわけだ。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2015年7月17日
第73回  「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」物語 その3
まずは平謝り。前回マイルスはハイノート(高音)がヒットしない、と無礼なことを書いてしまったが、ネットでこんな快調なのを見つけてしまった。Miles Davis & Sony Stitt:Round Midnight(マイルス・デイヴィス・アンド・ソニー・スティット:ラウンド・ミッドナイト)という検索タイトルのもの。環境の整っている方は是非お聴きください。通常トランペッター・マイルスをハイノート・ヒッターと言う人はいないし、本人だってそうは思っていなかっただろうが、やるときにはやるという好例である。もっとも60年代初期のライヴ音源にはトランペットを自在に操るマイルスを何度もリスナーは体験しており、私もあれこれ聴いてはいたのであった。忘れてたわけじゃないのだが口が滑った。ただしこの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」を聴くのは初めて。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2015年6月15日
第72回  「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」物語 その2
前回はラスト部分でマイルス・デイヴィスのアルバム「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」“Round About Midnight”(原盤COLUMBIA)につけられたジョージ・アヴァキャンのライナーノーツの一部を読みながら、そこに幾つかの「後述ポイント」をチェックしておいた。今数えてみると七つあった。まず列挙しておく。①セロニアス・モンク。②デューク・エリントン。③クーティ・ウィリアムズ。④ディジー・ガレスピー。⑤「人々が彼の安否を案じ始め出した頃」。⑥ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル。⑦「彼は復帰してはいたのだが、彼の演奏を耳にしたものはまだいなかったのである。」以上。これらの意味を記述することが当然今回からのテーマとなるのだが、順不同、また論述の自然な文脈の流れの中でそれぞれ触れていくことになろう。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2015年5月13日
第71回  「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」物語 その1
マイルス・デイヴィスがアルバム「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」“Round About Midnight”(SONY。原盤CBSコロンビア)のタイトル曲を録音するためにスタジオに入ったのは1956年9月10日のことである。この日が、同アルバムに結実するセッションとしてはラスト三回目で、最初のセッションからは一年近く経っていた。全セッション十曲がマスター・テイクとして残され、そこから六曲がアルバムに収録されている(その後、残る四曲も同アルバムCD盤に収録)。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2015年3月18日
第70回  人間国宝ジャズ 山本邦山追悼その8(最終エピソード)
昨年亡くなった邦楽の人間国宝、尺八奏者山本邦山の仕事を八回にわたり振り返ってきた。本連載の偏った興味から、取り上げるのはジャズとの関係に限定されるものの、「現代のジャズ」(限定的な「モダン・ジャズ」という意味合いでなく)という音楽の振れ幅の大きさが反映して、イージー・リスニング・ミュージック「琴 セバスチャン・バッハ大全集」(BMGJAPAN)からフリー・ジャズ「無限の譜」(ユニバーサル)まで雑多なジャンルの邦山音源を紹介することが出来た。また現代の音楽ジャンルにおいてインプロヴィゼーション(即興)の持つ比重、という風に視点をズラすことで「即興音楽としての」民族音楽と邦楽とジャズ(ブルーズ)という関係性を提示することも出来たと思う。現在最も活き活きと即興演奏が行われているのは原則このジャンルの音楽だけなのだ。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2015年1月26日
第69回  人間国宝ジャズ 山本邦山追悼その7
あけましておめでとうございます。今年は年賀状に「謹賀新年」じゃなく「寿保千春」と書いた。日本で確認された最古の年賀状の文句がこれだそうなんで。
昨年は健さんとブンタが相次いで亡くなる、という思ってもいなかった事態に多少気が動転したりした。東北人ブンタさん(広島出身じゃない)は311後の日本を憂い、俳優を引退して独自の活動を展開されていたそうだが。健さんは健さんで老いてますます盛んというか、映画人として第二のピークと言うべき時期だったと思う。ご冥福をお祈りします


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2014年12月16日
第68回  人間国宝ジャズ 山本邦山追悼その6
山本邦山とジャズとの関わりは音楽的に二つに分けられる、と前回記してある。「リズムの明瞭な拍節的音楽」と「間を活かす空間的音楽」である。正確には、彼はそれを「現代の尺八音楽」の二つの方向性として示したのだが、その違いが彼のジャズ尺八にもぴたりと当てはまるものであることを、具体的にアルバム・タイトルを挙げて提示しておいた。前者が例えば原信夫とシャープス・アンド・フラッツと組んだ諸作品であり、後者が山下洋輔、富樫雅彦と組んだドイツ制作のアルバムということになる。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2014年11月11日
第67回  人間国宝ジャズ 山本邦山追悼その5
一九六〇年代というのは、日本の音楽史上最も活力に満ちた魅力のある時代の一つだったと思う、と山本邦山は著書「尺八演奏論」(出版芸術社刊)に述べる。「日本の音楽」とは狭義では現代邦楽において、という意味である。著書から総括しておく。1958年「邦楽四人の会」の第一回演奏会から始まった活動が一気に加速し、62年「東京尺八三重奏団」、64年「日本音楽集団」設立に至る。ここから現代音楽の作曲家による新作邦楽創作の気運が生まれ、「そうした中で、六四年に諸井誠氏が尺八のソロの《竹籟五章》を書かれて大変話題になった。この曲は、すごく新しい感じがし、『うわぁ、素晴らしい』とびっくりしたものである。とても現代的だが、よく聴いて一つひとつ音を分析していくと、古典尺八本曲のようでもあり、それでいて新しい匂いがした。」


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2014年10月3日
第66回  人間国宝ジャズ 山本邦山追悼 その4
ラピュタ阿佐ヶ谷9月20日までのモーニング・ショーは「戦前日本SF映画小回顧」であった。これは高槻真樹の著書「戦前日本SF映画創世記 ゴジラは何でできているか」(河出書房新社刊)にインスパイアされた企画で、今回見逃したらなかなか見られそうもない作品がずらりと並んでいて圧巻。その中でほとんど例外的に有名なのは『續清水港(清水港代参夢道中)』(監督 マキノ正博、40、日活)と『孫悟空 前後篇』(クレジットを読む限りでは前篇と后篇)(監督 山本嘉次郎、40、東宝)の二本だけだと言っていい。本作が何故、二つのパートに分かれているのかは私じゃ分からない。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2014年8月19日
第65回  人間国宝ジャズ 山本邦山追悼 その3
本コラムで時々「和ジャズ」という言葉を用いることがある。何の定義づけもなしに使っている。よく考えたら私自身あまり「分かって使って」はいない。今回はこの件から始めたい。コンピレーション・アルバム「和ジャズPLAYS ジャポニスム」(日本コロムビア)の尾川雄介ライナーから引用する。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2014年6月26日
第64回  人間国宝ジャズ 山本邦山追悼 その2
 「1967年7月2日、原信夫とシャープス&フラッツは、ある有名なジャズ祭のステージに立っていた。アメリカ東海岸にある最も古いリゾート地、ロードアイランド州ニューポートで開かれてきた、世界最大といわれるジャズフェスティヴァルである。」(「シャープス&フラッツ物語」長門竜也 著、瀬川昌久 監修、小学館刊)。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2014年5月19日
第63回  人間国宝ジャズ 山本邦山追悼
尺八演奏家 山本邦山(やまもとほうざん)氏が2014年2月10日に亡くなった。生年1937年10月6日。享年76。人間国宝です。さて、では人間国宝とは何ぞや、ということをまず記さねばなるまい。日本において同国の文化財保護法に基づいて、同国の文部科学大臣によって指定された、無形文化財、と定義はちゃんとしている。「重要無形文化財」ともいう。とはいえ、きちんと定義されるとかえってややこしくなる。要するに「伝統芸能」を後世に継承するために、その「技能を持った人材」を「国宝」と指定する、という意味だ。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2014年4月13日
第62回  非ジャズ時代の三保敬太郎
前回は三保敬太郎がジャズマンとしての評価を下げ、また映画音楽家としても休止状態に入ってしまった60年代の終わり頃を取り上げ、アルバム「サウンド・ポエジー“サチオ”」に着目した。確かにここに聴かれる音楽はジャズというより当時の言い方では「イージー・リスニング・ミュージック」であり、音楽的な評価を云々することもない、とジャズ側からみなされたのもやむを得ない。全編にフィーチャーされる、現在は人気の高い伊集加代子によるスキャットも当時はさほどでもなく、またジャズの方法によるものでもなかったから、そうした方面から評価される目は最初からなかった。けれども、ちらっと述べたように「ジャズではない音楽」に示された三保の才能というのを聴き逃す手はないと思うのだ。今回はそちら方面の三保敬太郎で現在比較的簡単に聴けるものを当たってみたい。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2014年3月10日
第61回  『事件記者』から「ブーガルー」まで
ラピュタ阿佐ヶ谷のレイトショー『事件記者』特集も終盤に突入したが、とりあえず音楽を三保敬太郎が担当した初期全十本は終わった。前回コラムでは初期四本までを見てあったが、それからこの一カ月で見たのは『事件記者 影なき男』『同 深夜の目撃者』(共に59)『同 時限爆弾』『同 狙われた十代』(共に60)『同 拳銃貸します』『同 影なき侵入者』(共に62)の六タイトルである。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2014年1月28日
第60回  宿題やり残しだらけの年頭コラムです…本年もよろしく
前回はマーカス・ロバーツのアルバム「ポートレイト・イン・ブルー」“Portrait in Blue”(SONY)のライナーノーツを読むことで、彼の演奏する「ラプソディ・イン・ブルー」“Rhapsody in Blue”の歴史的、というか現代的意味を考えた。今回はまずその補遺として「ジャズマンが語るジャズ・スタンダード120」(小川隆夫著・全音楽譜出版社刊)に収録されている彼の言葉を引用することから始めよう。この書物はジャズ・ジャーナリスト小川隆夫が直接に内外のジャズマンにインタビューして、その肉声を伝えてくれるものである。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2013年12月20日
第59回  残暑の松本と「ラプソディ」後編
毎朝何となく見てしまうテレビ番組というのは誰にもあると思う。私の場合NHKの衛星放送枠、平日午前九時からの「プレミアムアーカイブス」で、ほぼ毎日チャンネルを合わせているにも関わらず何をやるか全く事前の知識なしで見る。一応番組のコンセプトを一言で説明すると「リクエストによる過去のNHKの番組からの再放送」ということだ。12月9日月曜日の朝、要するに今朝さっきのことだが「もういい加減で原稿やらなきゃなあ」なんて考えながらリモコンのスイッチを入れたところ、「TV60 テレビ史を彩る番組から」というシリーズの第四弾が始まった。今回のセレクションは女優中村メイコさんでその初日のプログラムは「新しい動画 三つの話」とある。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2013年11月12日
第58回  残暑の松本と「ラプソディ」前編
NHKの衛星放送で去る9月30日午前零時から「小澤征爾復活の夏 サイトウキネンフェスティバル松本2013」という番組が放送されたのをご覧になった方は意外と少なかっただろうと思う。これは音楽番組であると同時に小澤征爾が病癒えて指揮台に復帰する様子に密着したドキュメンタリー番組でもある。時間が時間だしクラシック音楽のプログラムだし、かく言う私自身見逃すところだった。つまり映画ともジャズとも関係なさそうだから。ところが今回のフェスティバルには本連載的にもきわめて注目すべき演目が含まれ、全篇放映されたのである。それが「松本Gig」と題されたプログラムで、指揮小澤征爾、演奏サイトウ・キネン・オーケストラと大西順子トリオによる「ラプソディ・イン・ブルー」“Rhapsody in Blue”の演奏であった。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2013年9月30日
第57回 2013年、熱波の夏を振り返る
まず前回の訂正、そして或る「ジャズ映画」イヴェントの報告から

前回のコラムを読んだオラシオさんから、本文中に一部問題ありとの指摘を受けたので、今回はその件からスタートする。とりあえず頂戴したメールをそのまま引用。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2013年8月19日
第56回 リスニング・イヴェント「アラウンド・コメダ」に参加して
本連載の第48回第49回第50回で「ポーランド映画とジャズ」の話題をオラシオさん(ポーランド・ジャズ専門ライター)のリスニング・イヴェントに関連づけて語った。オラシオさんは本拠地が東北で、必然、イヴェントもその多くは東北地方で開催されるのだが、時折、秋葉原のスペース「le tabou」で行われることがあり先日8月7日にも久しぶりに登場した。今回のコラムはその模様を紹介する。オラシオさん自身のホームページ「オラシオ主催万国音楽博覧会」でもその件はアップされたからそちらもご覧ください。今回のテーマは「アラウンド・コメダ コメダ銀河系に浮かぶ惑星たち」と銘打って、クシシュトフ・コメダ関連楽曲をかけることである。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2013年7月17日
第55回 60年代日本映画からジャズを聴く その13 「ジャズじゃない」時代の八木のジャズ映画音楽
八木正生の捉えにくさはどこにあるのだろうか。
「捉えにくさ」と書いてしまうとかえって奇異の念を持たれるかも知れない。ジャズ・ピアニストとしても映画音楽家としてもある時期の日本を代表する人として彼は遇されてきたのだし、サザンオールスターズとの仕事「ステレオ太陽族」(ビクター音楽産業)のアレンジのように若い世代からのリスペクトが明らかなものもある。当時はそう受け取られていなかったがテレビアニメ『あしたのジョー』の音楽も、今振り返ればそうした敬意の表明の一端であったことは既に記してきたとおり


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2013年6月6日
第54回 60年代日本映画からジャズを聴く その12 趣味的ミュージックとしてのジャズ…?
前回の続き。ピアノ対ピアニスト、という話題を受け継ぐ形で、モンクの場合「ピアノをゆがめちゃってる」感じがすると山下洋輔は語る。「音楽の象徴、音楽の権化みたいな」楽器を「グチャグチャにして、自分の肉声に近づけていく」、それがモンクのジャズであると。この言葉はもちろん「山下のモンク観」だが、幾分かは「八木のモンク観」であり「八木の山下観」でもあった。次に引くように八木は「モンクによって山下のジャズが出来上がった、そういう部分がある」と言いたいのである。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2013年5月13日
第53回 60年代日本映画からジャズを聴く その11 ピアノ炎上
山下洋輔と八木正生対談の続き。
スイング・スタイルから出発し、ハンプトン・ホーズでバップに目覚め、ビル・エヴァンスを咀嚼しつつもやがてフリー・ジャズへ、という山下の歩みに対して、そのどこかの地点にセロニアス・モンクはいたのか。これが八木の質問だと言える。それを二人は「縦型」ピアノ、「横型」ピアノという概念により語っていた。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2013年4月3日
第52回 60年代日本映画からジャズを聴く その10 モンクを語る山下洋輔、八木正生
今回は八木正生が感銘を受けたアルバム「バグス・グルーヴ」“Bag’s Groove”(Prestige)におけるセロニアス・モンクによる同曲ソロを聴くことからスタートしよう。既に述べたようにこのセッションのリーダーはトランペッター、マイルス・デイヴィスで、バックを務めるのがMJQの四人。ただしここでのMJQは「モダン・ジャズ・クァルテット」の略称ではなく、同グループのピアニストがジョン・ルイスからモンクに替わった変則MJQ、いわば「ミルト・ジャクソン・クァルテット」になっているのがミソだった。八木の言葉をまず引用する。著書「気まぐれキーボード」(話の特集刊)から。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2013年3月6日
第51回 60年代日本映画からジャズを聴く  その9 セロニアス・モンクの衝撃と「喧嘩セッション」
オラシオさんのリスニング・イヴェントに関連づけて三回にわたりポーランド映画とジャズとクシシュトフ・コメダを語ってきた。彼のブログ「オラシオ主催万国音楽博覧会」ではコメダ・グループ・メンバーだったトマシュ・スタンコの最新アルバムの話題が「熱く」語られていて真に頼もしい。ポーランド・ジャズにおいてコメダという存在はいわば「共通分母」の一つなのだ。こちらの短期連載ではとうてい語りきることのかなわないテーマである。いずれまたとり上げるつもりだが、とりあえず八木正生と日本映画に戻ろうと思う。オラシオさんのツイッターを読むと今回のテーマにかする「モンク曲集」の最新の一枚のタイトルも挙げられていて、シンクロニシティみたいな現象が起きている。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2013年2月1日
第50回 ポーランド派映画とジャズ  後編・オラシオさんのリスニングイヴェントに参加して
前々回前回とお届けしてきた「ポーランド映画祭2012」関連の話題も一応今回でひと区切りとしたい。ポーランド映画におけるジャズというテーマは重要でありながら、現段階では私の手には負えない部分があまりに多い。最重要人物クシシュトフ・コメダを一つのきっかけにして何とか語ってきたけれども、そのコメダ一人に関しても輪郭どころか、彼のジャズピアノ、映画音楽、人脈、いずれについてもその端緒を示す程度しか出来ていない。従って、コラムのコンセプトとしてはレジュメとかラフスケッチといった線ですらなくて、昨年からのいくつかのイヴェント(下記)に私が参加して、その感想と今後の展開へのヒントを記述するものとなっている。言い換えれば2012年秋から13年にかけての日本におけるポーランド・ジャズ受容体験のささやかな一例ということになるだろう。ご了承願いたい。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年12月28日
第49回 ポーランド派映画とジャズ  中編・オラシオさんのリスニングイヴェントに参加して
少し気が早いかも知れないが今年もベストテンの季節がやってきた、とまず言いたい。私の場合、発表の機会が与えられたのは、一昨年までは「映画芸術」誌のみ。昨年(2011年ベストテン)は「映画芸術」と「キネマ旬報」。今回は「キネ旬」のみ。次回のことは分からない。もう原稿は編集部に送ってしまった。雑誌媒体というのは原稿執筆から現物が店頭に並ぶまで時間がかかるので、2012年に公開された作品からのセレクションでも発表は次の年の二月頃になるわけだ。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年12月14日
第48回 ポーランド派映画とジャズ  前編・オラシオさんのリスニングイヴェントに参加して
このコラムをチェックしている方ならば「ポーランド映画祭2012」イヴェントのことは当然知っているだろう。既に11月24日から始まっており、12月7日まで。わざわざ詳細を私が記述するまでもなく、しかるべき場所をクリックすればちゃんとそれなりの情報が手に入る。そこで今回のコラムだが、ポーランド映画におけるジャズに関してDJオラシオさんによるリスニングイヴェントがらみで述べるのが主目的である。とはいえ物事には順序というものがあり、唐突に本題に突入するとわけが分らなくなってしまうので少しだけ遠回りすることにしたい。ポーランド映画史と今回の映画祭のつながりを幾つかの角度から記述しておこう。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年11月1日
第47回 60年代日本映画からジャズを聴く  その8 追悼若松孝二、そして八木のCM音楽の現代性
2012年10月17日午後11時5分、映画監督若松孝二氏が逝去された。12日、都内で交通事故に遭い、当初報道では生命に別条なしとされたが、実際には病院に収容された時点で既に意識不明の重体であったと公式ブログで発表されている。「ピンク映画」と呼ばれるポルノグラフィーから出発し、というよりピンク映画というものの存在を世に知らしめたのが大ざっぱに言えば若松孝二だった。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年10月4日
第46回 60年代日本映画からジャズを聴く  その7  アレンジャー八木正生の映画音楽集とスタンダード集をちらっとだけ
八木正生の1970年代のアルバム「インガ」も近々初CD化されるという情報が入ったけれども、まだ正式リリースされていないようなのでこの件はお楽しみということで。代わりに今回は近年CD化された「モダン・ジャズ・ブルー・ムード」(コロンビア)から入りたい。こちらは「八木正生と彼のグループ」による65年作品。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年8月28日
第45回 60年代日本映画からジャズを聴く  その6 八木正生におけるジャズと映画の葛藤
本コラム第41回で八木正生作曲の「ジンク」が収録されたコンピレーション盤「キング・オブ・JPジャズ ドゥー・ステップ」を紹介している。この度、その「ジンク」が初めて八木によって演奏されたオリジナル・アルバム「ジャズ・インター・セッション」(キング)が初CD化されてしまった。欣喜雀躍とはまさにこのこと。ついでにもう一枚、今回のCD化シリーズ「キング・ヴィンテージ・ジャズ‐コレクターズ・エディション」から一タイトル上げておく。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年7月24日
第44回 60年代日本映画からジャズを聴く  その5 今回は豪華二本立てメニューでお届け!
前回は失礼しました。早速前々回の続きと行きたいところだが、そう予定調和的にいかないのが私である。ご容赦いただきたい。前回タイトルしか書けなかった中山康樹の新著「LA・ジャズ・ノワール 失われたジャズ史の真実」(河出書房新社刊)について少しだけ記しておきたい。アメリカ西海岸、いわゆるウェスト・コーストに栄えたジャズを巡る新視点満載の好著である。「あとがき」がふるっている。まず引用から。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年6月25日
第43回 アナクロとコンテンポラリー、または長すぎる箸やすめ
去る5月17日(木)、筆者はアテネ・フランセ文化センター主催「アナクロニズムの会」第21回において「レスター・コーニッグと空爆正当化映画の系譜」と題する講演を行った。その報告から入ることにする。今回は隣の吉田広明のコラムも「アナクロ」がらみ。この会を主宰するのが吉田さん(と関口良一さん)である。吉田さんはジョン・カサヴェテスと伝説のテレビ・ドラマ『ジョニー・スタッカート』“Johnny Staccato”に関する講演を6月に行った、その報告となっている。そこで少しだけ語られている番組音楽については本連載的にも興味深い事例を含んでおり、いずれ何らかの形で述べる日がくるかも知れない。今回のコラムも「イントロダクション」というより、もっと長めのものになりそうな予感がある。「アナクロニズムの会」って何、という方はアテネ・フランセ文化センターのホームページを訪ねてみて下さい。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年5月18日
第42回 60年代日本映画からジャズを聴く
その4 八木正生とその時代(ちょい大げさ)
前回の原稿を上げた翌日、さっそく「あしたのジョー オリジナル・サウンドトラック本命盤」(キングレコード)を入手した。単に豪華というよりほとんど無意味なまでにゴージャスなブックレットにただただ圧倒。丹下段平(藤岡重慶)ナレーションによる番組次回予告「あしたはどっちだ」まで全話収録(文字でだが)。やはりここまでやらねば「本命」を名乗るわけにいかないというスタッフの熱意に打たれた。打たれた、とここはしておかないと申し訳ない気がする。しかし本連載で無駄に「あしたのジョー」を長長と語っても仕方がない。あくまで八木正生に集中したい。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年4月17日
第41回 60年代日本映画からジャズを聴く
その3 ジャズから現代音楽、ソフトロックまで、八木正生
近年、と言ってももうずい分前になるのか、若い音楽ファンの間に八木正生(やぎまさお)の名前が浸透したのはやっぱり、桑田佳祐が八木への尊敬の念を表明したからだったと思う。尊敬、英語で言えば「リスペクト」で、こう書けば最近大流行りである。「××さん、リスペクトで~す」とか言って、若いミュージシャンが他人の音楽をちょろまかす際に良く使われる。嫌な言葉、というか概念、振る舞いだが。桑田が八木を尊敬するという場合、本当に尊敬しているのだからこういうのとは次元が違う。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年3月19日
第40回 60年代日本映画からジャズを聴く
その2 井上梅次のジャズ映画時代
今回も「山下洋輔の文字化け日記」(小学館文庫)の一節からスタート。「謎月映画日」である。ちょっと長いのではしょりつつ引用したい。山下―富樫雅彦ラインからは少し離れてしまうのだが、遠回りして戻ってくることになるだろう。「思い出せないというか解決しないと非常に気持ちが悪い現象はよくある。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年2月17日
第39回 60年代日本映画からジャズを聴く
その1 網走番外地の三人、富樫、山下、八木正生
前回もちらっとそんなことを書いた覚えがあるが、当事者というのは突然意外なことを言ったり書いたりする。ジャズ史の本にも映画史の本にも載っていないネタが当たり前のことのように出現するのだ。今回はそんな話題から。
文庫本「山下洋輔の文字化け日記」が小学館から発刊されたのは、初版第一刷発行2009年6月10日となっているから五月の中頃だったろう。出た即日に早速私は読んだ。多分久しぶりのエッセイ集だったからに違いない。そこに驚きの記述を発見してしまった。月刊誌「CDジャーナル」連載と書かれているから、その時点で読んでいた人も当然いただろうがさらっとスルーされてしまった事柄。まあそういうもんである。2003年の「網月走日」の項にこうある。この日付は何だ、ということも含めて、以下を読めばわかる。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年1月17日
第38回 アメリカ60年代インディペンデント映画とジャズ体験
その4『アメリカの影』の映画史的位置その他
初めて『アメリカの影』“Shadows”が公開された時から、そのジャズ映画的側面が注目されてきたのは前回記述してある。音楽はチャールズ・ミンガスである。「ジョン・カサヴェテスは語る」(遠山純生・都筑はじめ訳、発行ビターズ・エンド)でも、この映画音楽について述べられていた。 やはり当事者に聞かなくてはわからないことというのはあるもので、思いがけない発言があまりに多い。最初はマイルス・デイヴィスに依頼するつもりだったらしいが、彼が大手コロンビアと契約してしまったために断念した。そういう「エスタブリッシュ」な人、つまり俗物とは組みたくない、というニュアンスで語られる。兄弟妹の一人ベン・カラザースがトランペッター志望の設定だったからマイルスが担当していたら物語にもう少し同調して現行の版とは異なる雰囲気が醸成されていただろうが、しかし『アメリカの影』には合わなかった気がする。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年12月13日
第37回 アメリカ60年代インディペンデント映画とジャズ体験
その3 即興演出映画『アメリカの影』の登場
フレディ・レッドが音楽を担当した『ザ・コネクション』“The Connection”(シャーリー・クラーク、60)とマル・ウォルドロンによる『クール・ワールド』“The Cool World”(同、63)を中心に「ジャズ映画」の世界を見て聴いてきた。この二本は映画史上に残る傑作にしては現物を見るのがなかなか難しい。そのオリジナル・サントラ盤やオリジナル・スコア盤(両者の違いは前回参照)が近年CDで比較的容易に入手できるようになったのと極端な不均衡状態で、実にけしからんと言わねばならない。今回取り上げるのは気の利いたビデオ屋さんなら必ず置いてある『アメリカの影』“Shadows”(60)である。音楽はチャールズ・ミンガス、監督はジョン・カサヴェテス。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年11月16日
第36回 アメリカ60年代インディペンデント映画とジャズ体験
その2 クラーク、ワイズマン、そして『クール・ワールド』(前回の続き)
前回は途中までしか進めなかったがナット・ヘントフによるアルバムのオリジナル・ライナーは最後まで読んである。今回はその続き、さっそく当事者に語ってもらう。トランペットのディジー・ガレスピーだ。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年10月13日
第35回 アメリカ60年代インディペンデント映画とジャズ体験
その2 クラーク、ワイズマン、そして『クール・ワールド』
前回の『ザ・コネクション』“The Connection”(61)からそのまま今回は『クール・ワールド』“The Cool World”(63)へつなぐ、この流れは隣の吉田さんのシャーリー・クラーク篇コラムと一緒。何故こんなことが、と疑問に思うほどのもんでもない。実はこれらの当コラム紹介作品に関する資料を普段から私は、吉田さんを始め遠山純生さん、桑野仁さんといった優れた研究者の方々から頂戴しているわけなのだ。さしあたりこの二本も我々の間で同時期に共有されている、といっても私は大体もらうばっかりだが。そういう次第。少し内容がかぶる部分も出るが、こちらはあくまでジャズ関連中心で記述する方針なので御了解されたい。でもこれを読む前に吉田さんのコラムを訪問しておいて下さい。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年9月13日
第34回 アメリカ60年代インディペンデント映画とジャズ体験
その1 映画『ザ・コネクション』を巡るコネクション
前回からの続き、というわけでもないのだが前回と何となく関係した話題から今回スタートする。アメリカは西海岸ロサンゼルスにあるコンテンポラリー・スタジオで、映画『地下街の住人』“The Subterraneans”のためにアンドレ・プレヴィンが書いたテーマ曲「何故、私達は怖れるの」“Why Are We Afraid?”を、サントラ盤にも協力していたアート・ペッパーが自身のアルバム「ゲッティン・トゥゲザー」“Gettin’ Together!”(Contemporary)用に録音していた日から二週間前にあたる1960年2月15日、東海岸ニュージャージー州ハッケンサックのルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオでは、やはり映画『ザ・コネクション』“The Connection”のために一連の音源七曲が演奏録音されていた。この音源を収録した音盤が「ザ・ミュージック・フロム・ザ・コネクション」“The Music from the Connection”(Blue Note)である。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年8月12日
第33回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その8 西海岸派ジャズマンとしての勲章
映画『地下街の住人』“The Subterraneans”(監督ラナルド・マクドゥーガル、60)は忘れられた作品と言うべきなのか、それとも違うのかビミョーな映画。実は私も見ていない。あまり多くの人に見られていない作品だ。それというのもこの作品が語られるとしたら「MGM史上に残る駄作」という文脈においてがほとんどなので、要するに「皆さん早く忘れて下さい」という映画になっている(らしい)。その音楽担当者がアンドレ・プレヴィンなのである。ところが近年この失敗作にスポットライトが当たり始めた。この件から今回はスタートしたい。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年7月14日
第32回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その7 幻の映画音楽『ポーギーとベス』
オットー・プレミンジャーの監督でミュージカル映画『ポーギーとベス』“Porgy and Bess”(映画邦題は実は『ポギーとベス』だが、ややこしいので今回はタイトルを「ポーギー」で統一する。なお、後述するジャズ・アルバムのタイトルは映画に準じているので「ポギー」だが、レコードのタイトルを勝手に操作するわけにはいかないのでそのままにしておく)が作られたのは1959年のことである。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年6月8日
第31回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その6 プレヴィンの“聖”三角形
先日、NHK衛星プレミアム「BS歴史館」という番組に出演してしまった。「シリーズ・ハリウッド100年①『ローマの休日』」というのがそのタイトル。日本人がとりわけ大好きなアメリカ映画『ローマの休日』“Roman Holiday”(監督ウィリアム・ワイラー、53)の製作の陰に、赤狩りによって映画産業を追放された脚本家ダルトン(ドルトン)・トランボの存在があった、というのが大まかな番組コンセプトで、このトピックを中心にスタジオトークを展開した。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年5月9日
第30回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その5 マイ・フェア・レディズ・アンド・ピグマリオン
今回は「ジャズ・ウェスト・コースト 五十年代LAのジャズ・シーン」(ロバート・ゴードン著。JICC出版局)の引用から始めたい。シェリー・マンをリーダーにした「シェリー・マン&ヒズ・フレンズ」の「マイ・フェア・レディ」“My Fair Lady”(Contemporary)に関してである。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年4月5日
第29回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その4「ショー・マスト・ゴー・オン」
2011年3月11日、東日本沿岸部を襲った津波と地震は近世日本史上に残る(或いはミレニアム・スパンとも言われる)被害をもたらしたが、未だその全貌は明らかでない。死者不明者三万人とされるが、そればかりか、単に水が浸入したというのでなく海岸線が変ってしまうほどのドラスティックな自然災害を体験したこと自体、現在生きている日本人には初めてのことなのだ。そして津波による最悪の二次災害としての福島原発事故。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年3月7日
第28回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その3「しろうとジャズひき」の悔いなき人生
「音楽で私の好きな音はいったい何だかごぞんじだろうか? オーケストラが調子を合わせているときの音である」。指揮者アンドレ・プレヴィンは彼の編著「素顔のオーケストラ」(日貿出版社刊)の巻頭エッセイ、その冒頭にこう記している。「オーボーが吹くA(イ)の音に始まるあの目的をはらんだ混沌は、音楽一途の私の人生で、いつも変わらぬ戦慄を私にもたらさずにはいない」。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年2月1日
第27回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その2 「ラプソディ・イン・ブルー」はジャズか?(続き)
「ポール・ホワイトマンは色々な意味でガーシュインと並行した存在だ。ジャズという音楽の素材に大変影響された人だった。彼はジャズを取り上げ、それを格の高いものにしようとした。実際に、彼とガーシュインは同じ方向に向かって進んでいたと言える。しかしホワイトマンの考えはジャズに全面的なオーケストレーションを施し、記述した形として残し、ジャズ・イディオムのオーケストラ用のアレンジを行い、そしてそれを価値あるものにするという点にあった。」


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年12月28日
第26回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験 その1 「ラプソディ・イン・ブルー」はジャズか?
2010年11月、NHK交響楽団首席客演指揮者アンドレ・プレヴィンは定期演奏会のプログラムで武満徹「グリーン」、プロコフィエフ「交響曲第五番」と共にジョージ・ガーシュイン「コンチェルト・イン・F」(ピアノ協奏曲ヘ調)を、これは自らのピアノ演奏により指揮した。プレヴィンはコンサート・ピアニストとしても超一流で、とりわけ知られるのがラフマニノフとガーシュイン。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年12月2日
第25回 『拳銃の報酬』セッションその後 その2
1959年はジャズ史にとって特別な年だと既に書いた。モダン・ジャズの演奏スタイルにおける転換点となるマイルス・デイヴィスの「カインド・オブ・ブルー」“Kind of Blue”(レーベルCOLUMBIA)とビル・エヴァンス・トリオの「ポートレイト・イン・ジャズ」“Portrait in Jazz”(RIVERSIDE)が録音された年だからだ。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年11月4日
第24回 『拳銃の報酬』セッションその後
古典的フィルム・ノワール最後期(1950年代まで)の傑作として『拳銃の報酬』“Odds Against Tomorrow”の評価は確立している。本連載第四回で取り上げたように、ここでのサントラにはジョン・ルイス作編曲によるオーケストラ・ジャズが全面的に用いられているのである。監督ロバート・ワイズは既に58年、『私は死にたくない』“I Want to Live”でジョニー・マンデルを音楽監督に起用して、ジェリー・マリガン・グループによる新鮮なウェスト・コースト派ジャズを画面に響かせていた。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年9月30日
第23回 ヌーヴェル・ヴァーグ旋風と日本映画(のジャズ)
本連載がこのウェブサイトに引っ越してくる前にフリーペーパー版「映画の國」で「ジャズと映画史」を巡るトピックとして幾つかのフランス映画、大ざっぱに「ヌーヴェル・ヴァーグ」と括られる数作品を既に取り上げている。マイルス・デイヴィス音楽による『死刑台のエレベーター』“Ascenseur pour L’echafaud”(連載第三回)、アート・ブレイキーとザ・ジャズ・メッセンジャーズ、そしてセロニアス・モンクによる『危険な関係』“Les Liaisons Dangereuses 1960”(第五回)である。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年8月31日
第22回 クリント・イーストウッド映画と「趣味としての」ジャズ   その7
「あのリノ(ジャズクラブ)の夜のことは今でも憶えている。カウント・ベイシー楽団が全員ステージに上がって、めちゃくちゃスイングしていた」(フランソワ・ポスティフ編「JAZZ HOT―ジャズ・ジャイアンツ・インタヴュー集」山口隆子訳、JICC出版局)十五歳のパーカーが至福のジャム・セッションの現場に土足で踏み込んで大恥をかく寸前の描写である。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年8月3日
第21回 クリント・イーストウッド映画と「趣味としての」ジャズ   その6
映画『バード』のサントラ盤ライナーノーツにレナード・フェザーはこう記している。
「チャーリー・パーカーが芸術的な奇跡を体現したならば、レニー・ニーハウスとボビー・フェルナンデスを頭とする彼のエンジニア陣も、正に技術上の奇跡を成し遂げたと言える。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年6月30日
第20回 クリント・イーストウッド映画と「趣味としての」ジャズ   その5
アルバム『バード』(88)“Bird Original Motion Picture Soundtrack”は、前作『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』(86)で「イーストウッド人脈」に復帰したレニー・ニーハウスが自身の音楽的バックグラウンドを駆使して作り上げたサントラ盤の傑作である。彼のバックグラウンドとは即ちジャズ、それもビバップ・ジャズということになる。このサントラ企画にイーストウッドと共にプロデューサーとして関わったニーハウスは、アルバムにも一文を寄せている。少しだけ引用する。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年5月24日
第19回 クリント・イーストウッド映画と「趣味としての」ジャズ   その4
『ガントレット』のサントラにジェリー・フィールディングがウェストコースト・ジャズを大幅に取り入れて成功したことは前回述べた。彼はもともとジャズバンドのアレンジャー出身だから、イーストウッドの指示、というか好みに則ってジャズをベースにした音源を創作したことは、とりあえず不思議ではない。だが実はフィールディングは、ことオーケストレーションに関する限り優れたジャズの専門家をスタッフに抱えていた、ということが近年明らかになってきた。レニー・ニーハウスがその人である。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年4月28日
第18回 クリント・イーストウッド映画と「趣味としての」ジャズ   その3
1980年に58歳の若さで世を去ったジェリー・フィールディング(1922年6月17日生)は、サム・ペキンパー、マイケル・ウィナー、クリント・イーストウッドという三人の映画監督と組んだ仕事で現在とりわけ記憶されている。ペキンパーとは両者にとって出世作と呼ぶべき『ワイルド・バンチ』(69)がとりわけ有名だが、その他にも『わらの犬』(71)等がある。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年3月29日
第17回 クリント・イーストウッド映画と「趣味としての」ジャズ   その2
『ガントレット』“The Gauntlet”は1977年のイーストウッド製作監督主演作品。
イーストウッドが自身の製作プロダクション・マルパソを拠点に主演俳優と同時に演出をも務めるというシステムは70年代初頭の『恐怖のメロディ』(71)から始まり『荒野のストレンジャー』(72)、『アイガー・サンクション』(75)、『アウトロー』(76)と続いていよいよ『ガントレット』となる。これらを見た者ならば容易に想像されるように、『ガントレット』は明らかにひとけた(とは言い過ぎかも知れないがとにかく)予算が違うのだ。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年3月2日
第16回 クリント・イーストウッド映画と「趣味としての」ジャズ   その1
現在、監督最新作『インビクタス 負けざる者たち』“Invictus”が公開中のクリント・イーストウッドは根っからのジャズ好きとしても知られている。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年1月27日
第15回 山下洋輔大復活祭と「ミナのセカンド・テーマ」(後編)
「山下洋輔。ジャズ・ピアニスト。昭和十七年二月二十六日生。出生地は東京渋谷の金王町。三井鉱山の技師長をしていた父の仕事の関係で九州と東京の間を往復し、中学校を一年のうちに三回変わったこともある。麻布中学三年のときジャズを知る」

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年1月5日
第14回 山下洋輔大復活祭と「ミナのセカンド・テーマ」(中編)
そういうわけで早速『荒野のダッチワイフ』を見てみた。これはかなり前にビデオでも出た。で、今回DVDを見ると何か違和感が残る。記憶とちょっと違うのだ。もっと構図が大胆でメリハリが効いていた感じがしてならない。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年1月27日
第13回 山下洋輔大復活祭と「ミナのセカンド・テーマ」(前編)
2009年は山下洋輔トリオの結成から40年を数える。去る7月19日、これを記念したコンサートが日比谷野外大音楽堂で開催された。題して「山下洋輔トリオ一夜限りの大復活祭」。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2009年10月29日
第12回 ノーマン・ジュイスン『夜の大捜査線』とクインシー・ジョーンズ(後篇)
映画『夜の大捜査線』は様々な点で「60年代的な映画」だと言える。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2009年09月29日
第11回 ノーマン・ジュイスン『夜の大捜査線』とクインシー・ジョーンズ(前篇)
既にちらっと触れたように、クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンのコラボレーションはアメリカのポップス史を塗り替えた。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2009年08月21日
第10回 ミケランジェロ・アントニオーニ『欲望』とハービー・ハンコック
歴史には、時に、それを必然的とも偶然ともどちらにも思わせるような、あるいはどちらとも思わせないような、要するに時間錯誤としか言いようのない作品が生まれることがある。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2009年07月27日
第9回 ラロ・シフリン『暴力脱獄』とウェス・モンゴメリー
この二か月、「ジャズと映画史」という主題を巡る私の環境にも色んなことがあった、と書いてしまったが、まあそんなに色んなことがあったわけではない。三つだけ。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』第1回〜第8回はこちらのフリーペーパーのページでお読みいただけます