『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年4月17日
第41回 60年代日本映画からジャズを聴く
その3 ジャズから現代音楽、ソフトロックまで、八木正生
近年、と言ってももうずい分前になるのか、若い音楽ファンの間に八木正生(やぎまさお)の名前が浸透したのはやっぱり、桑田佳祐が八木への尊敬の念を表明したからだったと思う。尊敬、英語で言えば「リスペクト」で、こう書けば最近大流行りである。「××さん、リスペクトで~す」とか言って、若いミュージシャンが他人の音楽をちょろまかす際に良く使われる。嫌な言葉、というか概念、振る舞いだが。桑田が八木を尊敬するという場合、本当に尊敬しているのだからこういうのとは次元が違う。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年3月19日
第40回 60年代日本映画からジャズを聴く
その2 井上梅次のジャズ映画時代
今回も「山下洋輔の文字化け日記」(小学館文庫)の一節からスタート。「謎月映画日」である。ちょっと長いのではしょりつつ引用したい。山下―富樫雅彦ラインからは少し離れてしまうのだが、遠回りして戻ってくることになるだろう。「思い出せないというか解決しないと非常に気持ちが悪い現象はよくある。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年2月17日
第39回 60年代日本映画からジャズを聴く
その1 網走番外地の三人、富樫、山下、八木正生
前回もちらっとそんなことを書いた覚えがあるが、当事者というのは突然意外なことを言ったり書いたりする。ジャズ史の本にも映画史の本にも載っていないネタが当たり前のことのように出現するのだ。今回はそんな話題から。
文庫本「山下洋輔の文字化け日記」が小学館から発刊されたのは、初版第一刷発行2009年6月10日となっているから五月の中頃だったろう。出た即日に早速私は読んだ。多分久しぶりのエッセイ集だったからに違いない。そこに驚きの記述を発見してしまった。月刊誌「CDジャーナル」連載と書かれているから、その時点で読んでいた人も当然いただろうがさらっとスルーされてしまった事柄。まあそういうもんである。2003年の「網月走日」の項にこうある。この日付は何だ、ということも含めて、以下を読めばわかる。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2012年1月17日
第38回 アメリカ60年代インディペンデント映画とジャズ体験
その4『アメリカの影』の映画史的位置その他
初めて『アメリカの影』“Shadows”が公開された時から、そのジャズ映画的側面が注目されてきたのは前回記述してある。音楽はチャールズ・ミンガスである。「ジョン・カサヴェテスは語る」(遠山純生・都筑はじめ訳、発行ビターズ・エンド)でも、この映画音楽について述べられていた。 やはり当事者に聞かなくてはわからないことというのはあるもので、思いがけない発言があまりに多い。最初はマイルス・デイヴィスに依頼するつもりだったらしいが、彼が大手コロンビアと契約してしまったために断念した。そういう「エスタブリッシュ」な人、つまり俗物とは組みたくない、というニュアンスで語られる。兄弟妹の一人ベン・カラザースがトランペッター志望の設定だったからマイルスが担当していたら物語にもう少し同調して現行の版とは異なる雰囲気が醸成されていただろうが、しかし『アメリカの影』には合わなかった気がする。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年12月13日
第37回 アメリカ60年代インディペンデント映画とジャズ体験
その3 即興演出映画『アメリカの影』の登場
フレディ・レッドが音楽を担当した『ザ・コネクション』“The Connection”(シャーリー・クラーク、60)とマル・ウォルドロンによる『クール・ワールド』“The Cool World”(同、63)を中心に「ジャズ映画」の世界を見て聴いてきた。この二本は映画史上に残る傑作にしては現物を見るのがなかなか難しい。そのオリジナル・サントラ盤やオリジナル・スコア盤(両者の違いは前回参照)が近年CDで比較的容易に入手できるようになったのと極端な不均衡状態で、実にけしからんと言わねばならない。今回取り上げるのは気の利いたビデオ屋さんなら必ず置いてある『アメリカの影』“Shadows”(60)である。音楽はチャールズ・ミンガス、監督はジョン・カサヴェテス。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年11月16日
第36回 アメリカ60年代インディペンデント映画とジャズ体験
その2 クラーク、ワイズマン、そして『クール・ワールド』(前回の続き)
前回は途中までしか進めなかったがナット・ヘントフによるアルバムのオリジナル・ライナーは最後まで読んである。今回はその続き、さっそく当事者に語ってもらう。トランペットのディジー・ガレスピーだ。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年10月13日
第35回 アメリカ60年代インディペンデント映画とジャズ体験
その2 クラーク、ワイズマン、そして『クール・ワールド』
前回の『ザ・コネクション』“The Connection”(61)からそのまま今回は『クール・ワールド』“The Cool World”(63)へつなぐ、この流れは隣の吉田さんのシャーリー・クラーク篇コラムと一緒。何故こんなことが、と疑問に思うほどのもんでもない。実はこれらの当コラム紹介作品に関する資料を普段から私は、吉田さんを始め遠山純生さん、桑野仁さんといった優れた研究者の方々から頂戴しているわけなのだ。さしあたりこの二本も我々の間で同時期に共有されている、といっても私は大体もらうばっかりだが。そういう次第。少し内容がかぶる部分も出るが、こちらはあくまでジャズ関連中心で記述する方針なので御了解されたい。でもこれを読む前に吉田さんのコラムを訪問しておいて下さい。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年9月13日
第34回 アメリカ60年代インディペンデント映画とジャズ体験
その1 映画『ザ・コネクション』を巡るコネクション
前回からの続き、というわけでもないのだが前回と何となく関係した話題から今回スタートする。アメリカは西海岸ロサンゼルスにあるコンテンポラリー・スタジオで、映画『地下街の住人』“The Subterraneans”のためにアンドレ・プレヴィンが書いたテーマ曲「何故、私達は怖れるの」“Why Are We Afraid?”を、サントラ盤にも協力していたアート・ペッパーが自身のアルバム「ゲッティン・トゥゲザー」“Gettin’ Together!”(Contemporary)用に録音していた日から二週間前にあたる1960年2月15日、東海岸ニュージャージー州ハッケンサックのルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオでは、やはり映画『ザ・コネクション』“The Connection”のために一連の音源七曲が演奏録音されていた。この音源を収録した音盤が「ザ・ミュージック・フロム・ザ・コネクション」“The Music from the Connection”(Blue Note)である。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年8月12日
第33回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その8 西海岸派ジャズマンとしての勲章
映画『地下街の住人』“The Subterraneans”(監督ラナルド・マクドゥーガル、60)は忘れられた作品と言うべきなのか、それとも違うのかビミョーな映画。実は私も見ていない。あまり多くの人に見られていない作品だ。それというのもこの作品が語られるとしたら「MGM史上に残る駄作」という文脈においてがほとんどなので、要するに「皆さん早く忘れて下さい」という映画になっている(らしい)。その音楽担当者がアンドレ・プレヴィンなのである。ところが近年この失敗作にスポットライトが当たり始めた。この件から今回はスタートしたい。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年7月14日
第32回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その7 幻の映画音楽『ポーギーとベス』
オットー・プレミンジャーの監督でミュージカル映画『ポーギーとベス』“Porgy and Bess”(映画邦題は実は『ポギーとベス』だが、ややこしいので今回はタイトルを「ポーギー」で統一する。なお、後述するジャズ・アルバムのタイトルは映画に準じているので「ポギー」だが、レコードのタイトルを勝手に操作するわけにはいかないのでそのままにしておく)が作られたのは1959年のことである。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年6月8日
第31回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その6 プレヴィンの“聖”三角形
先日、NHK衛星プレミアム「BS歴史館」という番組に出演してしまった。「シリーズ・ハリウッド100年①『ローマの休日』」というのがそのタイトル。日本人がとりわけ大好きなアメリカ映画『ローマの休日』“Roman Holiday”(監督ウィリアム・ワイラー、53)の製作の陰に、赤狩りによって映画産業を追放された脚本家ダルトン(ドルトン)・トランボの存在があった、というのが大まかな番組コンセプトで、このトピックを中心にスタジオトークを展開した。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年5月9日
第30回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その5 マイ・フェア・レディズ・アンド・ピグマリオン
今回は「ジャズ・ウェスト・コースト 五十年代LAのジャズ・シーン」(ロバート・ゴードン著。JICC出版局)の引用から始めたい。シェリー・マンをリーダーにした「シェリー・マン&ヒズ・フレンズ」の「マイ・フェア・レディ」“My Fair Lady”(Contemporary)に関してである。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年4月5日
第29回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その4「ショー・マスト・ゴー・オン」
2011年3月11日、東日本沿岸部を襲った津波と地震は近世日本史上に残る(或いはミレニアム・スパンとも言われる)被害をもたらしたが、未だその全貌は明らかでない。死者不明者三万人とされるが、そればかりか、単に水が浸入したというのでなく海岸線が変ってしまうほどのドラスティックな自然災害を体験したこと自体、現在生きている日本人には初めてのことなのだ。そして津波による最悪の二次災害としての福島原発事故。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年3月7日
第28回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その3「しろうとジャズひき」の悔いなき人生
「音楽で私の好きな音はいったい何だかごぞんじだろうか? オーケストラが調子を合わせているときの音である」。指揮者アンドレ・プレヴィンは彼の編著「素顔のオーケストラ」(日貿出版社刊)の巻頭エッセイ、その冒頭にこう記している。「オーボーが吹くA(イ)の音に始まるあの目的をはらんだ混沌は、音楽一途の私の人生で、いつも変わらぬ戦慄を私にもたらさずにはいない」。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2011年2月1日
第27回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その2 「ラプソディ・イン・ブルー」はジャズか?(続き)
「ポール・ホワイトマンは色々な意味でガーシュインと並行した存在だ。ジャズという音楽の素材に大変影響された人だった。彼はジャズを取り上げ、それを格の高いものにしようとした。実際に、彼とガーシュインは同じ方向に向かって進んでいたと言える。しかしホワイトマンの考えはジャズに全面的なオーケストレーションを施し、記述した形として残し、ジャズ・イディオムのオーケストラ用のアレンジを行い、そしてそれを価値あるものにするという点にあった。」


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年12月28日
第26回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験 その1 「ラプソディ・イン・ブルー」はジャズか?
2010年11月、NHK交響楽団首席客演指揮者アンドレ・プレヴィンは定期演奏会のプログラムで武満徹「グリーン」、プロコフィエフ「交響曲第五番」と共にジョージ・ガーシュイン「コンチェルト・イン・F」(ピアノ協奏曲ヘ調)を、これは自らのピアノ演奏により指揮した。プレヴィンはコンサート・ピアニストとしても超一流で、とりわけ知られるのがラフマニノフとガーシュイン。


『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年12月2日
第25回 『拳銃の報酬』セッションその後 その2
1959年はジャズ史にとって特別な年だと既に書いた。モダン・ジャズの演奏スタイルにおける転換点となるマイルス・デイヴィスの「カインド・オブ・ブルー」“Kind of Blue”(レーベルCOLUMBIA)とビル・エヴァンス・トリオの「ポートレイト・イン・ジャズ」“Portrait in Jazz”(RIVERSIDE)が録音された年だからだ。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年11月4日
第24回 『拳銃の報酬』セッションその後
古典的フィルム・ノワール最後期(1950年代まで)の傑作として『拳銃の報酬』“Odds Against Tomorrow”の評価は確立している。本連載第四回で取り上げたように、ここでのサントラにはジョン・ルイス作編曲によるオーケストラ・ジャズが全面的に用いられているのである。監督ロバート・ワイズは既に58年、『私は死にたくない』“I Want to Live”でジョニー・マンデルを音楽監督に起用して、ジェリー・マリガン・グループによる新鮮なウェスト・コースト派ジャズを画面に響かせていた。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年9月30日
第23回 ヌーヴェル・ヴァーグ旋風と日本映画(のジャズ)
本連載がこのウェブサイトに引っ越してくる前にフリーペーパー版「映画の國」で「ジャズと映画史」を巡るトピックとして幾つかのフランス映画、大ざっぱに「ヌーヴェル・ヴァーグ」と括られる数作品を既に取り上げている。マイルス・デイヴィス音楽による『死刑台のエレベーター』“Ascenseur pour L’echafaud”(連載第三回)、アート・ブレイキーとザ・ジャズ・メッセンジャーズ、そしてセロニアス・モンクによる『危険な関係』“Les Liaisons Dangereuses 1960”(第五回)である。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年8月31日
第22回 クリント・イーストウッド映画と「趣味としての」ジャズ   その7
「あのリノ(ジャズクラブ)の夜のことは今でも憶えている。カウント・ベイシー楽団が全員ステージに上がって、めちゃくちゃスイングしていた」(フランソワ・ポスティフ編「JAZZ HOT―ジャズ・ジャイアンツ・インタヴュー集」山口隆子訳、JICC出版局)十五歳のパーカーが至福のジャム・セッションの現場に土足で踏み込んで大恥をかく寸前の描写である。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年8月3日
第21回 クリント・イーストウッド映画と「趣味としての」ジャズ   その6
映画『バード』のサントラ盤ライナーノーツにレナード・フェザーはこう記している。
「チャーリー・パーカーが芸術的な奇跡を体現したならば、レニー・ニーハウスとボビー・フェルナンデスを頭とする彼のエンジニア陣も、正に技術上の奇跡を成し遂げたと言える。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年6月30日
第20回 クリント・イーストウッド映画と「趣味としての」ジャズ   その5
アルバム『バード』(88)“Bird Original Motion Picture Soundtrack”は、前作『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』(86)で「イーストウッド人脈」に復帰したレニー・ニーハウスが自身の音楽的バックグラウンドを駆使して作り上げたサントラ盤の傑作である。彼のバックグラウンドとは即ちジャズ、それもビバップ・ジャズということになる。このサントラ企画にイーストウッドと共にプロデューサーとして関わったニーハウスは、アルバムにも一文を寄せている。少しだけ引用する。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年5月24日
第19回 クリント・イーストウッド映画と「趣味としての」ジャズ   その4
『ガントレット』のサントラにジェリー・フィールディングがウェストコースト・ジャズを大幅に取り入れて成功したことは前回述べた。彼はもともとジャズバンドのアレンジャー出身だから、イーストウッドの指示、というか好みに則ってジャズをベースにした音源を創作したことは、とりあえず不思議ではない。だが実はフィールディングは、ことオーケストレーションに関する限り優れたジャズの専門家をスタッフに抱えていた、ということが近年明らかになってきた。レニー・ニーハウスがその人である。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年4月28日
第18回 クリント・イーストウッド映画と「趣味としての」ジャズ   その3
1980年に58歳の若さで世を去ったジェリー・フィールディング(1922年6月17日生)は、サム・ペキンパー、マイケル・ウィナー、クリント・イーストウッドという三人の映画監督と組んだ仕事で現在とりわけ記憶されている。ペキンパーとは両者にとって出世作と呼ぶべき『ワイルド・バンチ』(69)がとりわけ有名だが、その他にも『わらの犬』(71)等がある。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年3月29日
第17回 クリント・イーストウッド映画と「趣味としての」ジャズ   その2
『ガントレット』“The Gauntlet”は1977年のイーストウッド製作監督主演作品。
イーストウッドが自身の製作プロダクション・マルパソを拠点に主演俳優と同時に演出をも務めるというシステムは70年代初頭の『恐怖のメロディ』(71)から始まり『荒野のストレンジャー』(72)、『アイガー・サンクション』(75)、『アウトロー』(76)と続いていよいよ『ガントレット』となる。これらを見た者ならば容易に想像されるように、『ガントレット』は明らかにひとけた(とは言い過ぎかも知れないがとにかく)予算が違うのだ。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年3月2日
第16回 クリント・イーストウッド映画と「趣味としての」ジャズ   その1
現在、監督最新作『インビクタス 負けざる者たち』“Invictus”が公開中のクリント・イーストウッドは根っからのジャズ好きとしても知られている。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年1月27日
第15回 山下洋輔大復活祭と「ミナのセカンド・テーマ」(後編)
「山下洋輔。ジャズ・ピアニスト。昭和十七年二月二十六日生。出生地は東京渋谷の金王町。三井鉱山の技師長をしていた父の仕事の関係で九州と東京の間を往復し、中学校を一年のうちに三回変わったこともある。麻布中学三年のときジャズを知る」

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年1月5日
第14回 山下洋輔大復活祭と「ミナのセカンド・テーマ」(中編)
そういうわけで早速『荒野のダッチワイフ』を見てみた。これはかなり前にビデオでも出た。で、今回DVDを見ると何か違和感が残る。記憶とちょっと違うのだ。もっと構図が大胆でメリハリが効いていた感じがしてならない。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2010年1月27日
第13回 山下洋輔大復活祭と「ミナのセカンド・テーマ」(前編)
2009年は山下洋輔トリオの結成から40年を数える。去る7月19日、これを記念したコンサートが日比谷野外大音楽堂で開催された。題して「山下洋輔トリオ一夜限りの大復活祭」。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2009年10月29日
第12回 ノーマン・ジュイスン『夜の大捜査線』とクインシー・ジョーンズ(後篇)
映画『夜の大捜査線』は様々な点で「60年代的な映画」だと言える。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2009年09月29日
第11回 ノーマン・ジュイスン『夜の大捜査線』とクインシー・ジョーンズ(前篇)
既にちらっと触れたように、クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンのコラボレーションはアメリカのポップス史を塗り替えた。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2009年08月21日
第10回 ミケランジェロ・アントニオーニ『欲望』とハービー・ハンコック
歴史には、時に、それを必然的とも偶然ともどちらにも思わせるような、あるいはどちらとも思わせないような、要するに時間錯誤としか言いようのない作品が生まれることがある。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』2009年07月27日
第9回 ラロ・シフリン『暴力脱獄』とウェス・モンゴメリー
この二か月、「ジャズと映画史」という主題を巡る私の環境にも色んなことがあった、と書いてしまったが、まあそんなに色んなことがあったわけではない。三つだけ。

『映画の中のジャズ、ジャズの中の映画』第1回〜第8回はこちらのフリーペーパーのページでお読みいただけます